はいた~い、とーきーやいびーん
(こんにちは、とーきーでございます)
今日は、ナナサンマルの日。
7月30日ですが、なぜかカタカナでナナサンマル。
沖縄は、1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)までの27年間
アメリカ世(←アメリカゆー)でした。(アメリカ合衆国による沖縄統治)
なので、車は右側通行だったのです。
そしてなぜか、本土復帰から遅れること6年後、1978年(昭和53年)7月30日に
「日本と同じ」左側通行になりました。
1978年7月17日に撮影された那覇市の道路
(琉球新報2018/7/30の記事からお写真をお借りました)
右側通行の写真、見てるだけでちむわさわさ~(←気持ちが落ち着かない)しますね~
考えただけでも、デージ(←とっても)大変じゃないですか
沖縄県全体的に右側通行から左側通行に変更ですよ
徐々にってわけにはいかないじゃないですか
「せーの!」で変更しないと。
その「せーの!」が7月30日(日)午前6時だったようです。
信号も、標識も反対側
バスの乗り口も反対側
道路の文字も反対側
という、具体的な準備も必要だし、何よりも人への周知が大変だはず
テレビを見ない人も、ラジオを聴かない人も、新聞を読まない人も
全員に周知うわ~、考えただけでもデージだ~
この周知活動が『ナナサンマル運動』でした。
(琉球新報2018/7/30の記事からお写真をお借りました)
右側から左側へ一夜にして逆転!
どんなに大変だったか、どんな風に行われたのかは
インターネット上にあふれています
「ネットを見ろ」
沖縄県の公式チャンネル「沖縄730道の記録」
https://www.youtube.com/watch?v=xklmxmgaFWA
詳しくて、デージ面白かったよ。
嘉手納に「コレって、右側通行の名残なんだろうな~」といつも思っている看板があります。
ブログに書くなんて思ってなかったので、写真を撮ってないんだけど、今度写してこようね~(←写して来ますね)
じゃあ、今日はこのへんで。
またや~たい