ハイタ~イ、とーきーやいびーんウインク

(こんにちは、とーきーでございます)

 

さて、みなさま

ウルトラマン沖縄生まれってご存知でしたか?

正確には、ウルトラマンの作者の金城哲夫さんがウチナーンチュ(←沖縄人)

 

そして、彼の生家は今「松風苑」という料亭になっています。

 

南風原町(はえばるちょう)の住宅街をいくと、松風苑はあります。

びっくりするほど多分、昔のままのお屋敷が現れます。

周りが開発されている中、よくここだけ残ったな~と感心するぐらい。

 

入り口はこんな風

ばばーーーんとスゴイ門構えですが、駐車場側からの入り口もとても風情があります

いずれも、広大な庭を抜けてやっと母屋にたどり着くのですが、そのアチコチに

離れやら、池やら、杜?っと思うほどの植物の群れ

  

 

本日は、ちょっとお祝い事だったので贅沢しました~お祝い

伊勢海老会席さそり座と牛焼き会席牛あたま

  

 

  

デザートには、ドラゴンフルーツとパッションフルーツのゼリー

お抹茶もいただきました。

  ま~さんラブ(←美味しい)

 

さて、いよいよウルトラマン

敷地内に、ウルトラマン記念館』があります。

とーきーは女子なので!?そんなにウルトラマンには思い入れはなかたのですが

ソレでもやっぱりだいぶ チムドンドンラブラブ(←胸がドキドキ)しました。

 

金城哲夫の書斎

 

   

これは、沖縄の「モモタマナ」の実です。

「コバテイシ」という名前でも呼ばれていますが、沖縄で馴染み深い呼び名としては

「くゎでぃーさー」

葉っぱが大きく、木陰が広がるのでウチナ~ンチュの憩いの場になります。

そして、その実のカタチ、何かに似ていませんか

そう!ウルトラマンの顔の形の元になったと言われています。

 

そういえば、彼の生家にも大きなクヮディーサーの木がありました。

もし、ウルトラマンが東京の円谷プロのデスクで、沖縄のことを思いながら誕生したのだとすれば、こんなに嬉しいことはありません

 

そして彼は、沖縄に戻りたくさんの仕事をしています。

沖縄芝居の台本を書いたり、沖縄海洋博の立案や演出をやったりしています。
そんなことを全然知らなかった沖縄大好きとーきーは、手書きの(当時はパソコンとか無いからね~)台本や原稿に夢中になり(←言い訳です) ピグモンカネゴンブースカなどのたくさん飾られていた可愛いコたちを写真に取るのをすっかり忘れてしまいました~

 

現在、「円谷プロダクションクリエイティブアワード 金城哲夫賞」という彼の名を冠した賞があるぐらいの人だっていうのは、沖縄の人にとってもとっても誇りに思えることですが、あの時代をウルトラマンと過ごした人々にとっては、沖縄の人でなくても声を大にして

ウルトラマンを生んでくれてありがとう~金城哲夫さん」

と言いたい!!
そんな場所です。

 

 

 

今日はこの辺で。

じゃ、またや~たいバイバイ

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