うな! うな!!
牛! 牛!! うなぎゅ〜!
和が家の土用の丑の日は、某牛丼屋さんのうなぎゅ〜にしました。
私、今日は何もしてないな(;´∀`)
まあ、たまにはいいでしょ!
さて、タイトルの「基本が揺らぐ時」
その人その人によって、基本(ベース)となるものってありますよね。
これは譲れないぞ!てもの。
または、これは自分にとって変わらない基本、基盤となるものでしょ!て、もの。
それは、人によって違う。
ある人は仕事。
その仕事に就くために血の滲むような努力をし、やっとこさ、その仕事に就き、やり甲斐を感じて、この仕事をしてる自分こそが、自分である!て人は、いきなりリストラなんてされたら、人生終わり、くらいに落ち込むでしょう。
一方、仕事に重きを置いてなくて、仕事なんて何でもいいさ、て人は、職を失っても、上の人よりはショックは受けないかもしれない。
私にとっての、基本となるもの。
揺るがないであろうと思っていたもの。
基盤となるもの。
それって、家族だったんだな〜、と、今すごく思います。
まあ、家族は基本となるもの、てのは大体の人に当てはまると思うので、仕事と比べるのは違うと思いますけど。
例えば、私はあの子が亡くなった後も、ママ友とはずっと仲良くしたい!と思ってたけど、実際は話も合わなくなったし会うのも辛くて今は段々と疎遠になってしまった訳ですが。
ママ友だって、私にとっては前の生活の中ではベースになっていたのです。
でも、今、疎遠になったからと言ってめっちゃ落ち込んでいるかと言うと、そうでもない。
それは、ここの皆さんと知り合えたことも大きいし、今となれば、それほどママ友という存在は私という基本を揺るがすほどの存在では無かった、ということにもなります。
何が言いたいかと言うと…。
やっぱり生活の基本、基盤である、家族が変わらずあれば、そこから派生する悩みなんて何とでもなる
んだな、てこと。
今まで、家族というベースはシッカリしてても、日々あれこれ悩んでいたけれど、今となっては小さなことです。
でも、当時は大きい悩みだった。
それは、基本(家族)が揺るがないであろう、という自信があったからかもしれません。
だけど、人生で初めて基本が揺らいだ今。
その人にとってのベースが壊れた時が1番辛いんだな、と分かりました。