私はあの子を亡くしてからというもの、毎日毎日【強制体験練習】に参加させられていた。



あの子が亡くなったことをどうしても受け入れられず、諦めてあげることもできず。

毎日毎日、帰って来ないかと待ち続け。

寝る前に全て夢だといいのに、と思いながら寝て、朝が来るとやはり夢では無かったと、仏壇前で泣き崩れる日々。



毎日毎日、来る日も来る日も。

あの子がいない毎日がやって来る。

あの子がいない日々を、朝が起きる度に強制的に体験練習させられていたのだ。



「明日は体験練習したくありません!」

と思うけれど、朝が来ると言うことは、体験練習が強制的に始まる、ということ。



毎日毎日毎日毎日…。

ウンザリするほど、強制的に体験させられ。



ついに。

どこかで諦めてしまったような気がする。

あの子がいないことを、諦めてしまった気がする。



ある意味、私の中でのキーポイントになるんじゃないのかと思っていた【諦め】。

あの子を諦めることができない!

でも、諦めてあげることが第一歩。

そうじゃないと、あの子も安心して成仏できないのでは? 

でも、我が子を諦めることなんてできない!

と、心の中で葛藤していた。




だけど、いつからか。

半年〜1年経った頃からか。

だんだん、だんだん。

朝起きてあの子がいなくても。

あの子の仏壇を朝起きて見ても。



「ですよね…。」

と、思っている私がいた。



自分に対して、我が子をよく諦めることができるよね!とも思うし、毎日毎日あれだけ強制練習させられたら仕方ないよ…とも思う。

だって、毎日願って朝起きていない、絶望…なんて、それを死ぬまで繰り返すなんて、過酷過ぎて、心が壊れる。



【諦め】は、強制練習参加でこの世界に慣れてきた、というのもあるし、自分の心を守る為の通過点でもあるのかもしれない。



私はついに諦めたのかもしれない。

朝起きても、あの子はいない。

あの子は、肉体を持っては帰っては来れない。

私が逝くしかないんだ。

次に逢う時は、私が肉体を失くした時だ。