私は、あの子を事故で亡くして割とすぐにカウンセリングを受けた。

警察の人に勧められたからだ。



受けたくはなかったけど、何度も勧められるから、2、3回は受けたかな。



だけど、事故の詳細・今の自分の気持ちを泣きながら話すことが、逆にしんどくてしんどくて。

これって意味があるのかな?と思っていた。



続けようかどうしようか、迷っていた時にカウンセリングの先生から

「カウンセリングは、こちらから答えを導くことはできないんです。話すことで、自分の考えや気持ちを改めて頭の中で整理していく手助けをするものなのです。」

と、言われてすぐに止めた。

  


だって。

私は、答えが欲しかったから。

これからどうやって生きていけばいいのかの、答えが欲しかったから。

結局、泣きながら話してしんどい思いをして、自分で答えを探すなら、静かに1人で考えたい、と思ったから。

たから、止めた。



カウンセリングを否定している訳ではなくて。

私には合わなかっただけ。

私はあの時、人に会うこと自体ストレスになっていたし。



だけど、そのカウンセリングの中でも、1つだけ収穫だったな、て思うことがあった。



私と同じように事故で娘を亡くして、1〜2年その先生に定期的に話をしていた人がいたらしくて。

でもある日、先生はその人に

「先生、もうカウンセリングはしなくて大丈夫です!」

と言われたらしい。



なんで?

答えを見つけられたの?

「何でですか?」って、すぐに私は聞いた。



先生は、

「今でもいるんだな、て分かったから。だから、もうする必要が無くなったんだって。」

と、私に教えてくれた。



まだ、あの子を亡くして2ヶ月とかの私は

「えーーーー???」

だった。



「いるんだな。」、て何よ。

いないから、涙が止まらないんじゃない。

意味が分からない!!!



だけど。

あれから1年経って、やっと分かる。



「いるんだな。」



ブログでも、「いるんだな。」を拠り所にして生きてる人ばかり。

私も透明になっただけで「いるんだな。」の日は、気持ちを保ててる。



物質世界の欲が吹き出て、「でも見たい!感じたい!証拠が欲しい!」に囚われてる日は、涙が止まらない。



「いるんだな。」

これ、とっても大切。