多くの人は「行動=プロセス」だと考える。
何かを得るために動き、外の世界に変化を起こそうとする。
けれど、“行動”という言葉の感じ方や使い方には個性がある。
外に動いて流れをつくる人もいれば、
内側の変化が自然に行動を生み出す人もいる。
「動くことで現実を創る」タイプの人は、
外にエネルギーを放出しながら循環させていく。
それが自然な人にとって“行動”は、
内側と外側をつなぐ大切な呼吸のようなもの。
一方で、私の中で腑に落ちたのは、
行動とは「すでに内側で完結した結果」だということ。
「内側から現実が動く」タイプは、
自分の中の周波数が変わった瞬間に、世界の方が自然と動き出す。
外の行動は“目的”ではなく、“結果”として現れる。
どちらが“上”とか“正しい”という話ではない。
ただ、魂の動き方・エネルギーの循環の仕方が違うだけ。
外から動いて整う人もいれば、
内側が整ったときに外が自然に動く人もいるということ。
内側で意図が生まれ、感じ、熟し、満ちたとき――
そのエネルギーは自然に外へと流れ出す。
それが“行動”として姿を現す。
外への行動とは、「何かを起こすための手段」ではなく、
“内側が動いた結果として自然にあふれ出る流れ”。
たとえば、内側で「もうこの方向でいこう」と腑に落ちた瞬間、
気づけばメッセージを送っていたり、
資料をまとめていたり、
出かける準備をしていたりする。
それは「動かなきゃ」と思って動いたのではなく、
内側のエネルギーが外に“あふれた”結果。
つまり、外への行動は「内側の波動の証拠」なのだ。
だから、“行動しなきゃ”という焦りや義務感ではなく、
“もう動いている私”を自覚したとき、自然に動きが生まれる。
この視点に立つと、
「行動=結果」という言葉がしっくりと腑に落ちる。
だから、無理に動こうとする必要はない。
ただ、“動くことをゆるす”だけでいい。
内側の意図が整えば、外側は自然に動く。
この仕組みを理解すると、
「頑張って行動しなきゃ」という焦りは消える。
行動とは、内なる準備が整ったあとの表現。
その瞬間、世界が動く。
私は『行動』という言葉に、もう頑張りを重ねない。
動くとき、私の内側はもう整っている。
行動とは、私が私である証。
*自己対話アーティスト とも*
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