「知る」って私にとって知識を得ることだけじゃなくて、
想いやりを深めることでもあると感じている。
私はこれを「理解共感」と言っている。
理解共感は、自分以外の理解を深めること。
そこには必ず他者が存在して、
自分の立場や視点だけでなく、相手の立場や背景に寄り添う意識が伴う。
理解することと共感は同じじゃない。
共感は感情で響くことだけど、
理解することは知識や視点を使って相手を捉えようと努めること。
共感というのは、相手と一つの場を共有して、
言葉のいらない「感じ合い」に至る境地。
理解というのは、相手に近づこうとする意志の行為。
理解という橋を渡った先に、
「あなた」と「わたし」の境界が自然に溶けていく世界が広がっている。
そのときには、もはや“努力して理解する”という段階ではなく、
“同じ呼吸で在る”という波を感じる感覚になるんだと思う。
まるごとのいのちが、境界も条件も超えて、自然に響く。
それは“選ばれた人だけに届くもの”ではなく、
存在そのものが奏でる波動だから、
誰が受け取るかは関係なく、ただ“響いている”。
「わたしはそうある」——
説明も言い訳も必要なく、ただある。
自分のいのちの波を自然に放つわたしである。
*自己対話アーティスト とも*
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますように