過去にこだわって、いまを誤魔化さず、いまの最善の選択をする方が、私の後悔にならないってわかった。
そんな気づきを綴りました。
過去の言動を覆して、頭を下げるのが苦手な私でした。
「自分の言ったことに二言はない」っていう信念を持っていたから。
でも、なぜそんなにこだわっていたのか。
それは——いま出す結論が、過去に出したものと違ったら、
“過去の自分を否定しなくてはいけない”という思い込みがあったからでした。
過去の最善と、いまの最善
過去に出した結論は、その時の私にとっての最善。
そして、いま出す結論がそれと違っていても、
それが「いまの最善」であるのなら、違っていていい。
もしその過程で、誰かを傷つけてしまっていたなら、誠心誠意、謝る、頭を下げる。
私の中で「頭を下げたくない」と抵抗する時、
本当は“謝りたくない”のではなくて、
過去を否定することへの悲しみや悔しさが動いていたんだ。
「あの時だって精一杯だったのに」
それを「間違い」とされてしまうのが悲しかったし怖かった。
視方を変える
その時はその時の最善。
では、「いま」はどうだろう?
同じ選択を繰り返すのが最善なのか、それとも違う選択をするのが最善なのか。
大切なのは、「いま」の最善を選ぶこと。
過去といまを無理に繋げない。
過去を結びつけてしまうからこそ、
「否定されたくない」「間違いだと認めたくない」という恐れが生まれる。
でも、そうではない。
過去に出した結論は、その時の最善。それでいい。
そして私は、
過去にこだわって、いまを誤魔化さず、
いまの最善の選択をする方が、私の後悔にならないって、はっきりわかった。
「いま」を生きる
時は流れている。
年、月、日、分、秒、すべてが変化していく。
だからこそ、いままでと違う選択をしてもいい。
過去を否定する必要もない。
ダメでも、間違っていてもいない。
いいか、わるいか。〇か✕か。
その二元論の世界では、どちらかを選ぶたびにもう一方を否定してしまう。
でも、本当は——
両方あっていい。
どっちも、あっていい。
いまの最善を選び続ける。
「いま」出した結論は、「いま」の最善。
未来にはまた変わるかもしれない。変わってもいい。
その瞬間、その瞬間、選択したことが最善。
「あ、違った!」と思ったら、そこで選び直せばいい。
一瞬一瞬の自分の選択に目を向けて、
誤魔化さず、逃げずに「いま」を生きていく。
だって——
私の人生は、私が創っていくのだから。
✴︎自己対話アーティスト とも✴︎
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますように