「私は間違っていない」「私は正しい」と思い込んで、その呪縛から出られない人が多いんじゃないか――最近、そんなふうに思います。
多くの人は「疑う=自分を信じていない」と受け取りますが、私は逆だと思います。
信じているからこそ、「それ、本当?」と自分に問い直せるのです。
私の場合は、それは社会通念だったり、自分の思い込みだったり、執着しているものを自分の本質だと勘違いしていることが大半だったからです。
だから今も疑い、問い続けています。
私にとって「それって本当?」と自分に問うことは、
自分の選択を疑いながら、自分が持っている信念や握りしめているものを手放すための“気づきの作業”です。
だから疑うことは、破壊ではなく、自分を知る気づきなのです。
そもそも「私は間違っていない」「私は正しい」と思い込んでいる人は、自分を疑えませんし、自分に問うことすらできません。
なぜなら、その行為を「正しいか正しくないか、〇か✕か」という単純なジャッジでしか捉えられないからです。
自分を本当に信じていなければ、問い直すことは怖くてできないはずです。
むしろ、自分に自信がない人ほど「私は正しい」と思いたくなるのだと思います。
正しさにしがみつくことで、自分を守ろうとするからです。
それ自体が悪いわけではなく、苦しくなければそれでいいのです。
一方で、自分を信じられる人は正しさに縛られません。
疑っても大丈夫、壊れても大丈夫。
そう思えるのは、自分そのものへの信頼があるからです。
その感覚を言葉にすると、
「正しくあらねばならない」という不自由さからの解放。
自由を感じると、身体まで軽くなる感覚です。
真の正しさは、私のあるをあるのまま生きること。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますように