私にとっては謎の会話
私にとっては謎の会話を目の当たりにした。
あなたの身体のためにお酒の量をを減らして…っていう会話。
本音を隠しながら、あなたの身体を心配しているからお酒を止めて、肝臓の数値が高いのをお酒だけのせいにしている。
本音の裏側
本当は、酔うとしつこいし、うるさい、臭い、相手するのが面倒。体調不良になったら面倒見るのは私なんだから、私に面倒かけないで。
ありもしない未来を不安視して「あなたが倒れたら私はどうしたら…」っていう不安からの“いまを心配している”。
わたしがいま不安だから、お酒を止めてほしい。
そんな本音が、私には見えてしまう。
悪循環の構図
言われた方は、本音が聞けてないから「はいはい(うるさいな)」って聞き流すだけ。
“飲まないとやってられない”というストレスをお酒で解消したい。
一時しのぎぐらい好きにさせてくれよって本音を隠している。
だから、この悪循環は続いていく。
表面上の改善では追いつかない
暴飲暴食をしているわけじゃないのに、肝臓の数値が上がったのは晩酌のビールだけのせいじゃないはず。
それを週に何回か休肝日にするとか、ノンアルにするとか、そんな表面上の改善でよくなることなんてない、と私は思ってしまう。
肝臓は怒りをためる臓器として知られています。日々の小さな小さな怒りが、たまりにたまっているってことも知っておいた方がいい。
一心同体という言葉があるのは、心と身体がつながっているから。でも身体と心が分離していると、表面上の改善策しか取ろうとせず、心の改善をしようとしないんです。
感情を吐き出すことの大切さ
本当に心配するなら、ストレスが溜まっているっていうことをまず自分自身が気づくことだし、周りが気づいてあげること。蓄積されているものって、表面上の改善策じゃ一時的にしかならない。
本当に心配なら、その溜まっている感情を吐き出させることもおススメします。
書くことで体感覚が変わる
言いたいことを言い合ったらおしまいじゃん。
だれが、相手にぶつけろと言った?
面と向かって言いたいことだけを相手にぶつけるのは幼稚な行動です。
そうではなくて、今感じている感情を紙に書けばいい。
残しておきたくなかったら、ビリビリに破いて捨てればいい。
それだけでも、体感覚は違ってくる。
やってみたらわかるけど、最初はきっと書けないと思う。
思っていることを言葉にすらできないのに、書けるはずがない。
そして、どう表現していいのかもわからない。
「こんな言葉を使っていいのか…」思うのはひどいことも思えるのに、いざ書くとなると躊躇する。
あるものは、たとえ醜くても、汚れていても吐き出せばいいだけなのに。
こんな事を書いて、誰かにみられでもしたら…内側はみられないとでも思っているんだろうか?
そして、その“視ている”のって紛れもない自分自身なのに。
上っ面のコミュニケーションの実感
自分の語彙力のなさに絶望するのも、むしろいいかもね。
それだけ、上っ面のコミュニケーションしか取れていないっていう実感を感じられると思う。
コミュニケーションって取れていない人がほとんど。
人の会話を聞いていると、ほとんどがマウントの取り合い。あれを知ってる、これを知ってる…のかぶせ合い。
あとは、自分の言いたい事も言わずにただ人に合わせているだけ。
以前の私もそこにいた。
だから、調べるし、知ろうとして覚えることに躍起になってた時期もあった。
あとは「あなたのため」と言いながら、本音が見えない人が多い。
その本音を言わない事を我慢ということも知らないでいる人も多い。
そして、ほとんどの人が、相手に自分の言いたい事をぶつけるのが、本音を言い合っていると勘違いしている。
その言いたい事って大概が怒り。
怒りを相手にぶつけるのはただ単に幼稚なだけ。
その怒りは自分が自分に怒っていることだし、そこで出てくる言いたいことは、本当は自分に言いたいことだから。
この続きでは、私がさらに深く気づいた“コミュニケーションの本質”について書いています。
Noteで有料記事として公開しているので、興味がある方はぜひ読んでみてください。
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