今日は広島平和記念日。
朝、HAPPYちゃんのメソッドの時間に、みんなで黙祷をしました。
日本は平和です。だから、戦争が他国で起きていても「我関せず」の人が多い。
恥ずかしながら、私もその一人です。

でも――黙祷の時、涙が込み上げてきた。身体は戦争を知っているんです。
どこにぶつけていいのかわからない。誰も悪くない。ただ「悔しい」だけが沁みてくる。
その感情は、胸の奥で何十年も、あるいは何百年も静かに息を潜めていたのかもしれません。
先日、HAPPYちゃんの存在曼荼羅舞踏のあと、身体を感じた瞬間、その「悔しい」があふれ、号泣しました。

幾重にもある過去世の中で、特攻隊員のために台所に立つ人だったことがあると言われたことがあります。
「美味しく食べさせたいけれど、元気になればなるほど、戦場へ送り出すことになる」という矛盾。
笑顔を見たいのに、それが死に近づけてしまう現実。
その悔しさ、虚しさが、今も深く刻まれていたのでしょう。

私の中にある「火」は、怒りも情熱も同じ。
だから、この「火」を平和への情熱に変えると決めた。
戦争を忘れるのではなく「あった」という事実を受け入れ、その感情と共にあること。
まずは、自分自身が平和であること。

ジャッジを許すという自己平和のワナ
「私はジャッジをします」「そのわたしをゆるしています」
それでいいんですが、「で?」って話。

「ジャッジしてもいい」と受け入れるのは大事。
でも、そこで終われば、ジャッジする自分を固定化してしまう。
「ゆるせている」「受け入れている」と自己承認のループに酔ってしまえば、成長の扉は閉じてしまうんです。

愛は無条件で、ジャッジがない世界なら――
「なぜジャッジするのか?」
「その感覚は気持ちがいいのか?」
そう問いかけることが、本当に“自己信頼の根本”に触れる道。

自己平和とは「私は平和です」と酔って宣言することではない。
そこに至るまでの葛藤や問いかけを、サボらないで、見続けることだと思う。

エネルギーは嘘をつかない
「ジャッジする自分を許す=自己平和」と言いながら、先の問いを立てずに自分平和=世界平和を語る――そのズレは、エネルギーで伝わってしまう。

表面上の言葉や態度は立派でも、エネルギーは嘘をつかない。
これからの時代、感性や感覚が鋭くなっている人が増え、「隠す」が通用しなくなってきている。

感性が開いた人は、言葉や表情よりも先に、その人の放つ周波数を感じ取る。
だからこそ、自分に正直であること、内側に光を当て続けることが最大の力になる。

本当の平和への道
平和を名乗るより、平和じゃない自分を直視すること。
ジャッジや不足感の奥に潜む、不安や不信、怖れを見つめること。
問いを手放さないこと。

人間は、生きている限り成長できる。
だから、悔しさを平和への情熱に変え、内側に平和を築き道を歩き続けることができる。

ジャッジしない、否定しない、分離しない――
それは「やるべきこと」ではなく、心からそうありたいという望み。
もう、自分の中で終わらせるべき闘いはわかっている。
その決意が、静かで力強い平和の波を広げていく。
その波は、私の内から世界へと、ゆっくりと、確かに届いていく。

 

 

 

最後まで読んで下さり
ありがとうございますラブラブ

 
読んでくださったあなたには
さらなる平和が訪れますようにキラキラ