「信頼」とは、期待ではないということ
人間関係の中で、「信頼していたのに裏切られた」という言葉をよく耳にする。
けれど最近、私はふと気づいた。
信頼が揺らぐとき、それは本当に“信頼”だったのだろうか?
もしかしたら、“期待”を信頼と取り違えていたのではないか、と。
期待 … 他者をあてにして、心待ちにすること(外側軸)
信頼 … 頼りにできるとして信ずること(自分軸)
ある日友達に、自分の中で芽生えた嬉しい感覚をシェアした。
タイミングがタイミングだったので、ウキッとしていたその想い。
普段ならそっと胸に秘めるのに、なぜかその時は伝えたくなった。
彼女も同じように喜んでくれるかもしれない、そんな期待もあったのだと思う。
でも返ってきたのは、思いがけない反応。
共に盛り上がるどころか、「なんか怪しい」と冷静に切り返された。
一瞬、肩透かしをくらったような気持ちになったけれど、
私はそこでハッと気づいた。
「ああ、私が信頼しているのは、彼女の“観察眼”だった」
「物事を冷静に見る力。私にはない視点からの見方を、私は信頼しているんだ」
そこに立ち返ると、意見が違っても、私の中の信頼は揺るがなかった。
むしろ、「あぁ、これが彼女らしさだよね」と自然に受け入れられた。
信頼している部分が明確だと、たとえ相手が思いもよらないことを言ったとしても、
「そうくるか!」と受け止められるし、それすらその人らしさとして見守ることができる。
信頼って、「この人のこの部分を私は信じている」と、自分の中で説明できることが大切。
漠然と「全部」を信じてしまうと、少しでも違う面を見たときに混乱が起きる。
信頼が崩れたと思い込み、相手に感情をぶつけてしまうこともある。
でも、自分が信じている部分が明確なら、
たとえ違う価値観や反応を見せられても、
「そうきたか」と静かに受け止められる。
そして、もしモヤモヤしたり、期待が湧いていたことに気づいても、
それを相手にぶつけずに、自分に還ることができる。
信頼とは、「すべてを肯定すること」ではない。
信頼とは、「私はこの人の“ここ”を信じている」と、自分に誠実でいること。
そうして築かれる関係性は、
依存や期待ではなく、
自由と敬意のあるものになる。
そして――
人との信頼関係を築くには、まずは自分との信頼が土台にあるという、大前提がある。
自分の感じたこと、選んだ視点、信じたいと思った気持ち。
それらに正直に向き合い、自分を裏切らずにいられることが、
他者を信じる力にもつながっていく。
自分に対して誠実であること。
それが、ほんとうの信頼の始まりなんだと思う。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますように