一人で、自分と向き合っていたとき、ふと感じたことがあります。
どんなに技術や情報が発達しても、
どんなに便利な社会になっても、
根本的に変わらないことがある。
それは――
「人は、ひとりでは生きていけない」ということ。
そしていま、時代の流れはますます加速し、
“これまでの当たり前”が崩れていく中で、
“これから”どう生きていくのか。
その答えのヒントは、
自分とのコミュニケーションを通して築かれる、
他者とのつながり、コミュニティにあるような気がしています。
そんなことを思いながら、
これからの「つながり」について綴ってみました。
【これからの時代のコミュニティの特徴】
これからの時代、私たちのコミュニティのつながり方は大きく変化していきます。
昔は会社や地域といった物理的な枠組みで人が集まっていましたが、
今は“エネルギーの共振”や“感覚の共鳴”がキーワード。
見えないエネルギーや共震で人と人がつながることが増えていきます。
だからこそ、単に表面的な関係ではなく、『自分と共振している』感覚が何よりも大切になってきます。
言葉や見た目ではなく、そこに流れる“震え”や“波動”を感じ取り、
そこに合わせるのではなく、自分が心地よいと思える場や人を選んでいくことが求められます。
【 違和感を大切にすること】
これからの時代は、自分の内側に湧き上がる「違和感」を無視しないことがとても大切になります。
目に見える基準や外側の価値観では説明できない、なんとなく感じる「居心地の悪さ」や「引っかかり」は、
あなたの感覚が本来の自分とズレていることを教えてくれる大切なサインです。
これまでの社会では、違和感を無視して「合わせる」ことが求められる場面も多かったかもしれません。
しかし、見えないエネルギーや感覚でつながるこれからのコミュニティでは、
言葉だけでなく、感じる震えや波動といった微細な共振が、居心地の良さを左右します。
だからこそ、違和感を感じたら、それを否定せず大切にする。
人の価値観に合わせたり、無理にその場に居続ける必要はありません。
自分が感じている違和感こそが、心地よさへのコンパスになります。
その感覚を手がかりに、自分が本当に共振できる場所や人を選んでいくこと。
それが、これからの時代を生きる秘訣であり、心地よいコミュニティを築く第一歩なのです。
【 自分の“核”とつながること】
本当の意味で心地よい関係性を築くためには、
まず「自分がどんなエネルギーを発しているのか」
「どんな感覚と共振しているのか」に気づいていることが大切です。
それは言い換えれば、「自分の“核”とどれくらい深く向き合っているかどうか」。
もしその核が不安定だったり、他人に認められたい、助けてほしいという想いが強くなっていると、
私たちは無意識のうちに「救ってくれる人」や「依存できる場」を探し、選び、
その選択を正当化するために説明を加えたり、複雑に考えたり、どこか重たくなっていきます。
けれども、自分の核が統合されていると、とてもシンプルです。
“共振”や“共創”のエネルギーを通して、人と関わることができるようになります。
そこに上下や依存はなく、ただ「ともにある」だけでいい。関係性は驚くほど軽やかになります。
自分の内側が整えば、外側の関係性も自然に調和しはじめる。
だからまずは、「私はいまここにある」と、自分自身にしっかり戻ること。
それが、これからの時代のコミュニティづくりの土台になっていくのです。
【誰かの“正しさ”ではなく、自分の“感覚”を信じる】
これまでの社会では、「正しさ」がとても重要視されてきました。
誰かが決めたルール、常識、マナー、正解。
会社という物理的な枠組みや役割が人と人をつなぎ、肩書きや所属がアイデンティティの一部となっていたのです。
そうした“外側の基準”に自分を合わせることが、大人として成熟している証のように扱われてきました。
でも、これからの時代はそれとは違います。
一人ひとりの感覚が研ぎ澄まされ、自分の“感覚”が羅針盤になっていく。
「私はこれが心地いい」「私はこうありたい」——そんな感覚に、もっと素直に従っていい時代なのです。
もちろん、誰かの正しさを否定する必要はありません。
けれど、それに合わせることで自分の感覚が鈍ったり、違和感を抱えたまま無理に付き合う必要もないのです。
誰かの“正解”が、自分にとっての“正解”とは限らないから。
むしろ、自分の感覚に従って生きるほどに、他者の正しさも自然と尊重できるようになります。
大切なのは、「私はどう感じているのか」。
頭ではなく、身体や感覚が教えてくれる微細な違和感や心地よさを、ていねいにすくい上げ、
その声に素直に応えてあげること。
“正しさ”を探すのではなく、“感覚”を信じて生きる。
それこそが、これからの時代の「自由」であり、調和的なコミュニティを築く鍵となるのです。
【 完璧でなくていい。ありのままの自分でつながる】
これまでの人間関係では、どこか「ちゃんとしなきゃ」「できる自分でいなきゃ」と、
無意識に“よそゆきの自分”を演じてきた人も多いかもしれません。
でも、その“ちゃんとした自分”は、本当のあなたでしょうか?
私は本当の私ではありませんでした。
誰かに認められるため、嫌われないようにするために身につけてきた“仮の自分”を
守ろうとすればするほど、人とのつながりはどこかぎこちなく、鎧や要塞をつくり重たくしていきます。
完璧であろうとすることは、失敗を見られたくないために、心を閉じてしまうことでもあるのです。
これからの時代に求められるのは、
完璧でなくてもいい、不完全なままでもつながれる安心感。
うまく言えなくてもいい。泣いてもいい。揺らいでもいい。
そんな“ありのままの自分”でいられる場所こそが、本当の意味でのコミュニティ。
自分を取り繕わなくていい場所だからこそ、他者も自然体でいられるのです。
自分の弱さや不完全さをさらけ出すことは、勇気がいることかもしれません。
でも、そのありのままを差し出したとき、同じように心をひらいてくれる誰かと出会えたとき、
関係性はぐっと深まり、温かくなっていきます。
つながりとは、「正しさ」で結ばれるものではなく、
「ありのままの自分」でいることをゆるし合うことから育まれていく。
完璧であろうとしなくていい。
そのままのあなたで、十分、価値があるのです。
【共に「いのち」を生きていく】
これからの時代に育まれていくつながりは、
誰かのために何かを“してあげる”ことでも、
無理に“役立つ存在”であろうとすることでもありません。
ただ、同じ場に存在し、感じ合い、尊重し合いながら、
それぞれの“いのち”がそのまま響き合っていくこと。
人は、ひとりでは生きていけません。
けれど、依存でも執着でもなく、
「共に在る」というあり方でつながることはできます。
それは、互いの“いのち”を尊重する、自然の営みです。
自分が自分に戻っていくこと。
微細な違和感を手がかりに、自分の感覚に誠実に生きていくこと。
誰かの正しさではなく、自分の感覚を信じること。
そして、完璧ではない、ありのままの自分をゆるすこと。
それはすべて、“いのち”としての自分に還っていく旅です。
その旅の途中で出会う人たちと、深く、静かに、共振していく。
一人一人が自分の内側で灯した光を、出会う人たちと分かち合っていく
そんなコミュニティが、これからの時代に大切になっていきます。
何かを証明しなくてもいい。
役に立たなくてもいい。
ただ、そこに「あなたがいる」ということ。
それが、かけがえのない贈り物なのです。
だからこそ――
私たちは、「いのちを生きる」という感覚を取り戻しながら、
共にこの世界を、創っていく。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますように