ようやく、私も人の役に立てている

――そう実感できる出来事があった。

それは「感謝される」とか「必要とされる」といった、わかりやすい形ではない。
ときに悪役のようなポジションで、相手に気づきをもたらす“きっかけ”のような存在。

それでも、相手の人生に何かの糧が残るのなら、それでいい。
むしろ、それこそが「本当に役に立つ」ということかもしれない。

だからこそ、離れていく人を責めることも、悲しむこともない。
「ああ、この人はまだ、自分と向き合うタイミングではないんだな」
「私という鏡を、まだ受け取る準備ができていなかったんだな」
そう思えるのは、私自身がそのプロセスをくぐり抜けてきたからこそ。

逆に、私が離れていったこともある。
それは、その人から何かを感じていた“私自身の感覚”がもうそこに無くなったとき。
学びが終わったら、自然と離れていく。
それは誰にも止められないし、悪いことでもない。自然の営み。

そして気づく。
“この人から何を感じるか”という軸でつくられていた人間関係。
学び、気づき、自分の変化を求めていた日々。

でも今は、そこから視点が変わってきている。
ただ「一緒にいたい」から一緒にいる。
「波動が合う」と感じる、ただそれだけの軽やかな関係。
共鳴や調和を大切にする関係へと、意識が変わってきている。

離れることも、一緒にいることも、どちらもいい。
その時々の自分の波動が、必要な関係を自然と引き寄せているだけ。

今、私はそんな世界を歩きはじめている。


 

最後まで読んで下さり
ありがとうございますラブラブ

 
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますキラキラ