HAPPYちゃんの「THE POSSIBLE 21」、そして「POSSIBLE100」に参加して、
私は「震えて生きる」という意図を持つようになり、
そこから、無意識下で持っていた信念がぽこぽこと浮かび上がってくるようになった。
今回、浮かび上がってきたのは
「あとでラクしたい」という信念。
これは、成果主義の別の顔です。
私たちはずっと、「あとで困らないように」「将来のために」と教えられてきた。
それがまるで、愛や正しさであるかのように思い込んでいました。
でもその中で、「いまの自分」はどこかに置き去りにされていたんです。
私は、買い物をするとき。
「これを買うと、あとで苦しくなるよ」
「ここでカードを使ったら、月末の支払いがきつくなるよ」
そんなふうに、「あとで楽するために、いまは我慢する」が当たり前になっていた。
未来の“成果”を守るために、今の“感じる”を抑えること。
それはつまり、「いまを感じなくていい」という構造だった。
でも、「私は震えて生きる」という意図は、まさに“いま”を感じるということ。
それなのに、信念の声はその真逆を言っている。
「もう、それ、いい加減にしてよ」
心の奥から、怒りが湧いた。
けれど私は、その怒りを感じたくなかった。
だから、「お金さえあれば、こんな思いをしなくて済むのに」と、
原因を「お金のせい」にしてきた。
でも、違った。
私を苦しめていたのは、「あとで楽するために、いま我慢する」という、その信念そのものだった。
思い出すのは、会社勤めをしていた頃の私。
「あとで楽したいから、今はがんばる。今は我慢する」
「今この仕事を終わらせて、あとでのんびりしよう」
そうやって、未来に“ご褒美”を預け続けていた。
でも、どれだけ片付けても「のんびりする時間」は訪れなかった。
むしろ、やることは増え、焦りが募り、
“早く終わらせて楽になりたい”という気持ちが、自分をどんどん急かしていった。
ついには、身体を壊すほど、自分を追い詰めていた。
「あとでラクしたい」
その気持ちは、悪いわけじゃない。
でも私は、その「あとでのラク」に執着していた。
だからこそ、ラクがどんどん遠のいていった。
その先にあったのは、安堵ではなく、ずっと焦りと不安だった。
だから私は、もう“あとで”という幻想を降りようと思う。
いまを感じて、
いまを味わって、
いまの震えに、正直でいること。
“あとでのんびり”じゃなくて、
“いま、のんびり”する。
“あとで幸せ”じゃなくて、
“いま、幸せ”を感じ、受け取っていく。
それが、成果主義から離れる、新しい生き方。
そして、私が「存在のままで在る」ことにつながっていく。
でも、これで終わりじゃない。
まだ、奥のほうに隠れている信念がある気がする。
その信念たちも、私を守るためにそこにいてくれた。
だから私は、それらにもしっかり気づいて、
「ありがとう」と見届けて、
そっと手放していこうと思う。
私は、“存在の震え”を感じながら生きる。
この意図で、今日もわたしを生きる。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます