たまに連絡を取り合う人に、私から連絡した時に
「連絡しようと思ってたんだ」と言われたことが何度か続きました。

もちろん、忙しかったり、タイミングが合わなかったり、
いろいろな事情があることも分かっています。

 

でも、そのたびに、私はふと心の中で
「……それって、どういうことなんだろう?」って思ってしまう。

“思ってた”のに“行動していない”という事実。
それは単に「やらなかった」で済む話ではないように思える。
私にはそれが、自分自身との信頼を切ってしまう行為のように映るのです。


私はできるだけ、自分の身体の声や直感を大切にしています。
「やってみたら?」というサインが来たときには、できるだけ無視をしないようにする。

小さな感覚の声を聴き、それに誠実に応える。
その繰り返しが、自分との信頼関係を育ててくれるから。

でも多くの人は、そのサインを見過ごしてしまう。
なぜなら、エゴの声のほうが強くて、響きやすいから。

「めんどくさい」
「なんて言えばいいかわからない」
「今じゃなくてもいいよね」

――そんな“やらない理由”の方が、もっともらしく聞こえて、楽に感じる。

だけどその後で、
「私の話を聞いてくれない」
「私のことをわかってもらえない」と言うのは、少し都合がよすぎるのではと思う。
自分の声を自分で無視しておいて、
「誰かには聴いてほしい」と願うのは、少し順番が違う気がする。


まずは、自分の声にちゃんと耳を傾けること。
それが自分への信頼の第一歩だと思う。

自分との信頼関係は、特別な出来事で築かれるものじゃない。
日々の“地味でささやかな選択”の積み重ね。

直感が来たとき、
「めんどくさい」に負けずに、ほんの一歩だけでも動いてみる。

それだけでいい。
それが「自分を裏切らない」ということにつながります。

 

直感があるのに、受け取る力がなかったら、
それは“ない”のと同じ。

その“受け取る力”は、
日々の信頼を育てることでしか養われない。

だからまず――
「やってみたら?」という、小さなサインに応えてみる。

それはとてもシンプルで、でも、とても大切なこと。

「あ、それ大事かも」
ふとそう感じた瞬間を、どうか見逃さないでほしい。

小さなサインを拾い、応答すること。
その積み重ねが、やがて大きく強い自己信頼になっていく。



ちなみに、「めんどくさい」が口ぐせになっている人は、
多くの場合、自分を丁寧に扱っていない。

繊細で微細な部分にまで感じることができない。

だから、他人のことも丁寧に扱えない。

相手の感覚にも鈍感で、言葉を聞き流し、

無意識の思い込みや自分の都合だけで判断してしまう。

それは――
“ないがしろの連鎖”。

その連鎖のなかでは、
自分にも他人にも、本質からのやさしさにはほど遠い。

 

 

私自身も、自分をもっと丁寧に扱っていきたいと

改めて思いました。


自分との信頼を取り戻すこと。
それは、思っているよりずっと静かで、
でも、確かにやさしい革命なのかもしれない。





最後まで読んで下さり
ありがとうございますラブラブ

 
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますキラキラ