今日は目玉焼きの話を通して、「チャレンジしなきゃ!」という圧ではなく、体験を重ねることで自分の選択肢が広がっていく喜びについて書きました。

 

 

今日の朝ごはんは目玉焼きでした。
私は、しょうゆ・ソース・塩コショウ、それぞれの味を知っています。

そして今日は、「しょうゆにしよう」って、自分で決めました。
その“選べる”という喜びを、しっかりと味わうことができたんです。



でも、もし私が「しょうゆ」しか知らなかったとしたら。
きっとあたりまえに、何も考えずにしょうゆをかけていたと思います。
だって、他の選択肢がないのだから。

そんなとき、誰かが「ソースも美味しいよ」って教えてくれたとします。
すると私の本質は、こう反応するんです。

「試してみたい💗 ウキッ」

でも、そのすぐ後に聞こえてくる声がある。
エゴの声です。

「失敗したらどうするの? 好みじゃなかったら最悪じゃん。
やめとこうよ……今度にしようよ……」

結局、「失敗したくない」というエゴの声を採用して、
私は“現状維持”を選んでいたんじゃないかなと思います。

そしてまた、目玉焼きを作るたびに、
心のどこかで「ソース、チャレンジする?」って声がする。
それは、チャレンジするまで、ずっと鳴り続けているんですよね。
(それを意識しているかどうかは別として)

でも、また現状維持を選ぶ。

すると今度は、自分を守るためにこんな言葉を生み出します。

「私はしょうゆ派。それ以外は試しません(=信念)」
「しょうゆ以外はあり得ません(=執着)」

こうして、頑なな信念や執着が自分の中に育っていく。
“他の可能性を排除する”方向へ、少しずつ、でも確実に。

これって、目玉焼きに限らず、
人生のいろんな場面で無意識に起きていることなんじゃないかなと思うんです。

たとえば、ソースを試してみて
「これはこれで悪くないけど、やっぱりしょうゆがいいな〜」って思えたなら。

それは“失敗”じゃなくて、
**「わたしの好みがはっきりした」**っていう、“発見”なんです。

たった一つの体験が、
“選択肢”を増やしてくれる。
「選べる」っていう、豊かさを与えてくれる。

「失敗したくない」という気持ちは、
わたしたちの選択を、静かに、でも確実に止めてしまいます。

その背景には、きっと、こんな思い込みがある。

失敗=悪いこと
失敗=恥ずかしいこと
失敗=損すること


無意識のうちに、こうした信念が根を張っているのかもしれません。

でも、もしかしたら――
「ソースもいけるじゃん!」
そんな“新しい発見”があるかもしれない。

こういうことって全部、
**「自分の感覚で選ぶ」**っていうことを、
誰かの評価や、過去の記憶で封じてしまっている状態なんですよね。

でも、一度試して「これは次回やめとこう」ってわかれば、もう迷わない。

つまり、
「体験」が、「選択の自由」を増やしてくれる。
“失敗”じゃなくて、
**「自分の感覚の精度を上げる練習」**なんだと思う。

それって、人生もまったく同じ。

この人と関わってみたけど違った → 自分に合う人がわかった
この仕事は向いてなかった → 自分の才能の輪郭が見えた
この生き方は苦しかった → 自分が本当に望むものが明確になった

「一回やってみた」という体験が、
“自分の輪郭”を浮かび上がらせてくれる。

多くの人は、「失敗=ダメだった」と、すぐに終わらせてしまうけど、
本当は、

「失敗は、終わりじゃない。“自分を知る種”だった。」

その“種”が、

【次はこうしよう】という新しい行動になって、
【私はこう感じた】という感覚の確かさを育てて、

やがて、自分に合った“花”を咲かせる。

つまり、
失敗は、「知る」という感覚を育てる畑。
成功は、「知ってきた自分」が咲かせる花。

これがないと、成功は“まぐれ”になってしまう。
「なんでうまくいったのかわからない」という、
根拠のない不安が、心の奥に残ってしまうから。

でも――

「あのとき失敗したから、今の選択ができた」

そう言えるとき、
それはもう、“自分で創った成功”なんです。

外から与えられたラッキーではなく、
内側から生まれた豊かさ。

「失敗してもいい」じゃなくて、
「失敗してこそ、わたしを知る」


体験すること。
選択肢を増やすこと。
それが、わたしを知ることに繋がる。

私を知る幅(奥行き)や高さ(成長)が生まれ、
受け取る器が広がり、豊かさがさらに満ちていく。


わたしたち人間がこの世に生まれてきたのは、
「体験するため」
そして、その体験の中で湧いてくる
**「感情を味わうため」**なんだと思う。


だから今日も、私は選ぶ。
自分の感覚で。
自分の心で。

それが、「生きる」ってことだから。

 

 

ここで大事にしたいのは、無理にチャレンジを強いることではありません。
「体験すること」が選択肢を増やし、自分の感覚を磨くプロセスである、ということです。



最後まで読んで下さり
ありがとうございますラブラブ

 
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れますキラキラ