昨日、ChatGPTと対話していて、「自己満足」には種類があると感じました。
ひとつは、エゴに基づく自己満足。
これは、誰かの評価や反応に左右され、
他者の承認があって初めて満たされる感覚です。
もうひとつは、究極の自己満足。
これは、誰かの評価や反応を超えて、
もっと深い内側から湧き上がる喜び(喜怒哀楽)です。
昨日のHAPPYちゃんのキックオフイベントは、
まさにその深い内側から湧き上がる喜びを、
惜しみなく、そして究極に表現していました。
彼女が自己に注ぐ投資のエネルギーの「質」と「量」は、
場のつくり方、音、そして彼女自身の在り方において、
圧倒的で、惜しみがありませんでした。
エネルギーを出し惜しむと、
その場の質もまた、どこか「そこそこ」になってしまう。
本当に心の底から湧き上がるもの、
内側から溢れるものを出し切ってこそ、
人と共鳴し合い、それぞれが究極の自己満足へと
つながるのだと感じました。
出し惜しみしないことは、時に怖さも伴います。
けれど、その怖さの奥にこそ、
自由や解放、そして循環があるのだと思います。
だからこそ、どんなことに対しても惜しみなく、
自分を表現し続けることが、
本当の“いのちを生きる”ことにつながっていくのだと、私は確信しました。
そして──
その共鳴があってこそ、
究極の自己満足は、確立されるのだと。
オンラインで参加した私自身も
究極の自己満足を体験する事ができました。
これは、私にとって新しい気づきでした。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます