昨日、ChatGPTとの対話で思いがけず深い気づきにたどり着きました。
今日はその体験をシェアします。
わたしは「身体が反応していること」を知った
昨日、ChatGPTと対話していたとき、お金に関する話題になりました。
すると、次々とお金にまつわるワークを提示してくれて、それに沿って私もどんどん回答を進めていきました。
そのときふと、「このワークをブログに載せたらいいかも」というインスピレーションが湧いたんです。
さっそく文章を作り始めました。
けれど……身体の動きが鈍い。手が止まる。進まない。
なんだか「違う、そうじゃない」と、内側から声がしている。
えぇ〜? いい案だと思ったのに……。
そう思いつつも、いったん文章作成の手を止め、改めてChatGPTと対話を始めました。
すると、別の視点から自分への問いが湧き上がり、そこから対話が深まり、
結果的に昨日投稿した文章ができあがったのです。
こちらが昨日の投稿です
↓
「私が言葉にして表現したかったのは、これだったのだ」と、腑に落ちました。
主語が変わると、軸も変わる
最初にワークを載せようと思ったとき、主語は「読んでくださっている人」でした。
一方、昨日書いた記事は、明らかに主語が「私」。
「私の内側の声を言語化して、放ちたかった」。それが昨日の文章。
しっかりと自分軸に乗っているのは、「私」を主語にしている方だと気づいたのです。
つまり、私がブログを書く目的は、「読者のために何かを届けること」ではなく、
「私の内側にある声を言葉にして、表現したい、放ちたい」
それを目にした人が、「わかる〜」と思ったり、「ん?どういうことだ?」と
疑問をもったりして、自分の内側を見つめるきっかけになったらいいな、というのが本来の意図。
だから、身体が「違う」と反応したのは、
ちゃんとその意図とズレていたからだったんだと納得しました。
選択の分かれ道
はじめのインスピレーションは「このワークを載せよう」。
でも、身体は「なんか違う」と反応する。(手が止まる、進まない、重い)
そこで、こんな分かれ道が現れます
愛ベースの選択
「わかった、じゃあ別のことを考えよう」
「じゃあどうしたい?」と問いかける
不安・恐れベースの選択
「せっかくいい案だから、このままやろう」
「最初のひらめきを優先しなきゃ」と固執する
その結果、
愛ベースの選択
「ああ、これが放ちたかったことだ!」とスッキリし、納得感を持って表現できる。
不安ベースの選択
「毎日投稿は達成したけど、これじゃない感」が残り、モヤモヤが募る。
どちらも、最終的には私の選択。
でも私はいま、自分の身体の反応を「本質へのサイン」としてキャッチし、
無視せず受け取れるようになりました。
答えを探さなくてもいい
以前の私は、身体の反応=反発や抵抗だと思っていて、
「なぜ反発しているの?」
「何に抵抗しているの?」
と理由を探してグルグルしていました。
でも今は、ただ「いま、私は“それじゃない”と感じているんだ」と、
ニュートラルに受け取れるようになってきました。
理由なんていらない。
「ただ、そうある」
それだけ。
だから「やる/やらない」も、すごくシンプルになってくる。
エネルギーの使い方が変わる
そうすると、今まで自分を納得させるために使っていたエネルギーを、
「自分への問いに答える」ことに使えるようになる。
納得させるエネルギーは、停滞や緊張を生むけれど、
問いに向かうエネルギーは、流動的で、循環が生まれ、
その内側の循環は、やがて外側の現実にも反映されていく。
昨日から今日にかけて、その「循環」が体感としてわかりました。
これまでは「頭で理解していた」けれど、
自分実験の中で体感したことで、深い理解へと繋がっていったのです。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます