【昨日までの私】
ある人が、1,000人規模のイベントを開催した。
そこで語られた「自分の内側を具現化したかった」という一言を聞いて、私は心の中で思った。
「ゲーーッ、自己満足じゃん」。
行かなくて良かった、とすら感じた。

他人の“やってみたかったこと”(つまり自己満足)に、自分の時間とお金をかけるなんてナンセンスだと。
その言葉を聞いた瞬間、本当に引いた。マジで・・・。

そうか、

私は「イベント=自己中心・自己満足のためのもの」という信念を持っていたんだ。

昨日までの私は、
「自分さえ満たされれば、周りも勝手に満足するだろう」という勘違いをしていた。
「自分=全体」という本質を、はき違えていた。



【今日からの私】
けれど今、私はこう思っている。
大切なのは、バランスが必要だということ。

確かに、そのイベントには“自己満足”の側面もあったかもしれない。
でも、実際にそこに集まった人たちは、それぞれに「受け取った何か」があった。

音を体験し、メソッドに触れ、ワークショップで内省したりスッキリしたり。
すべてが「体験」として完結していた。

主催者は全力を尽くし、参加者もそれぞれのものを持ち帰っていた。
その“バランス”こそが大切なんだと、今は感じている。

これまで私が見てきたイベントは、主催者の自己満足が強く出たものばかりだと私は感じていた。
まるで他人の時間とお金を使って、自分の「子どもの頃の夢」や「やってみたかったこと」を再現しているようで…。
「完全なる自己満足」や「場の私物化」とすら感じていた。

だから、「内側を具現化したかった」という言葉に引いたのも、ある意味当然だった。

けれど、実際の参加者の反応や満足度は、私の想像とはまったく違っていた。


今はこう思う。

イベントや企画って、ある意味“自己満足”でいい。
ただし、大切なのはそこに**「意図」があるかどうか**。

たとえば企画を立ち上げるとき、
“自分がその場に参加したとしたら、どうなっていたいか?”
という問いに、ちゃんと答えられるか。

その視点こそが、大事だと思った。



「すでに“ある”状態」で何かをするというのは、
全てのバランスが整っているということ。

反対に「“ない”状態」で動くと、
「やってみたい」「体験したい」が先行して、
過去の「なりたかった自分」や「叶えたかったこと」の再現になる。

参加した人によっては思い出にはなるかもしれない。
でも、それはただの記憶の断片で、心に残るものでは“ない”こともある。

その場にいる人たちにとって、何が最善か?
という視点が“ない”から。
それは無意識の「自分さえ満たされればいい」というエゴの表現になってしまう。

そしてそれが「成功体験」として記憶されると、また繰り返してしまう。
でも、それは一過性のものにすぎず、持続はしないんだと思う。



自己満足を満たしたいという気持ちと、
それを現実の世界にどう表現するかは、まったく別の話。

「自分=全体」「自分=外」という視点に立つなら、
その場に自分がいたとして、“どう在りたいか”を描けているかが重要。

そのイメージが明確で、意図として組み込まれていれば、
より良いものが自然と生まれ、表現される。

そして、何を受け取るかは、それぞれに委ねられる。
何も受け取らない自由も、もちろんある。



自己陶酔の企画とは、「与えてやっている」というスタンス。
自分がステージに立って輝くことが目的になってしまっている。

「あるから全部出す。勝手に持ってってー(これしかないけど・・・)」というスタンスは、
一見太っ腹に見えるけれど、相手の“今”や“求めているもの”までは見えていない。
結果として、参加者と自分が切り離されている状態になる。

「自分さえ満たされれば、周りも勝手に満足するだろう」
という勘違い。
「自分=全体」という本質の、はき違え。


が、これまでの私。


「全体」「外」とのバランスという視点が、私にはなかった。
だから、今回のイベントにも「結局そうなんだろう」と思い込もうとした。

でも、ずっと心のどこかに「なんか違う」という違和感があった。
その“問いの正体”が、やっとわかった。

それは──

自分が参加者としてそこにいたら、どうなっていたいか?

そこまで視点をくゆらせるのだと感じて、私は絶句した。

丁寧に自分を見るとは、
そこを見て、きっとその先まで見ようとしていることなんだ。


全部出すことが「完璧」なのではない。
本当に大切なのは、**“バランス”**だった。

たとえば、私が企画するとして、
そこに「私自身」が参加したら──

何を受け取り、どうなっていたいのか?

そこまでをシミュレーションすることが、本質なんだと思う。
それこそが、「自分=全体」というあり方の、本当の意味なんだと今は思います。


これは「見る目が変わった瞬間」の記録です。
そして、私がこれからのあり方を整える“起点”。

自分の「見方」が変わることで、
同じ世界がまったく違って見える。

これは、私の「変容のプロセス」です。

お付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

 

 

最後まで読んでくださったあなたには

さらなる幸福が訪れますキラキラ