中学3年間、すべての成績表には毎回、こう書かれていました。
「誰とでも仲良くしましょう」。
でも私は、ずっと疑問に思っていたのです。
どうして、誰とでも仲良くしなければいけないの? と。
その意味がわからず、ただ従うしかないと思いながらも、
どこかでいつも、窮屈さを感じていました。
先生や親も「まんべんなく、みんなと仲良くしなさい」と言っていたけれど、
私の中にはずっと、「それって本当に正しいの?」「なぜ必要なの?」という問いが残っていたのです。
そして最近になって、ようやく少しずつ、あのときの疑問の輪郭が見えてきました。
「誰とでも仲良くできる人(=人間愛にあふれた人)」と
「自分を深く愛することが、結果として全体への愛につながると知っている人」。
この2つの在り方は、どちらも“愛”に根ざしているけれど、
私には、後者のほうがしっくりくるのです。
私は四柱推命で「財」の星を一つも持っていません。
正直、人にどう思われるかには、あまり関心がありません。
「私が好きなら、それでいい♡」
それが、私の自然な感覚なのです。
相手が私を好きかどうかは、それぞれの自由。
もちろん好かれたら嬉しいけれど、
それは私のコントロールの範囲ではありません。
以前の私は、「私が好きならそれでいい♡」という自分を、
「わがまま」や「自分勝手」だと責めていました。
でも今は、違います。
一人一人と深く関わることが難しい場面があるからこそ、
まず自分を深く愛することが、全体への愛に自然とつながっていく。
その在り方を、いまの私は受け入れ、解放することができました。
「誰とでも仲良くしよう」とする世界もあるけれど、
私には、それが少しだけ、窮屈に感じてしまうのです。
これからは、自分を大切にし、
その愛が自然と広がっていく世界を創っていく。
そんな世界でこそ、
本質の自分を、のびのびと生きられる気がしています。
これが、今の私の素直な気持ちであり、
これからの生き方の、大切な指針です。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます