意図を放つと、信念が浮かび上がるってHAPPYちゃんが言っていて、
意図を放ったら、モロすぎて笑っちゃうくらい、自分の“当たり前”が見えてくる。
今日も、そんな体感があった。
「行く、行かない。やる、やらない。」
その選択の前にあるのは、ただ「身体の反応」だけ。
行くときに理由なんていらないのに、
行かないときには、自分が納得する理由を探していた。
そこに、時間と労力を使っていた。
それって、つまり…
「断ること=悪いこと」という前提が、私の中に深く刻まれていたから。
そして、まだ、身体の反応を信じきれていなくて、
私が納得する「断る理由」がどうしても必要だった。
その時の自分に対して、私は傲慢で身勝手だったなと思う。
それを、自分だけでなく、他の人にもしてきたんだと気づいた。
ごめんなさい。
でも、今ならわかる。
行く=行かない。やる=やらない。
どちらにも理由はいらない。
「ただ、今の私がそう反応している」
それだけのこと。
断ることに罪悪感を持たなくていい。
喜ばれることだけが正しいわけじゃない。
「好き・嫌い」「いい・わるい」の二元論でもない。
今日、私はまた一つ
「断ることには理由がいるのが当たり前だった」という信念を見つけた。
それがあまりにも自然すぎて、今まで疑問すら持ってこなかったことに、
少し怖さを感じた。
でも、その怖さこそが、新しい道が開けた証。
まだ歩き出したばかりで、
どうなっていくのかは正直、わからない。
でも、わからないままにしておける私が、今ここにいる。
それだけで、今日は充分。
「私がそうあれば、そうある世界になる」
本当に、そうなんだなぁ。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます