私はこれまで、ずっと「お金」や「何かを持っていること」に、自分の価値を重ねてきた。
働くこと、役に立つこと、商品になるような何かを持つこと…。
そういった“形”がないと、自分には価値がないように思えて仕方がなかった。
正直に言えば、今もその感覚は、完全に抜けたわけじゃない。
私が本当に欲しかったのは、お金じゃなくて、
“わたしの存在価値を認めてほしい”と
わたしの奥底で叫んでいたことに気が付きました。
その声は、怒りや悲しみになって、長い間、私の深層に置き去りにされていた。
その声を無視して、「頑張らなきゃ」「何かにならなきゃ」と走り続けていた。
今日、その怒りが浮上した――
「もういい加減にしてほしい!」「何をどれだけやれば気が済むの!!」
その声は頭の声じゃなくて、肚の底から響き、静かに煮えたぎっている怒りだった。
私はその瞬間、ハッとした。
「なにかになろうとしなくていい」
「なにもしなくていい」という本質の意味にようやくたどり着いた。
今、私はある分岐点に立っている。
すでに「愛の中にある感覚」に触れている。
でも同時に、「足りない」「何かをしなければ」という不安から選択してしまうクセも、まだある。
この両方の層を感じているからこそ、私は今、揺れている。
「存在しているだけで価値がある」
そう聞いて、頭では理解していた。
「そんなことあるわけがない」と
私自身がその言葉から、無意識に自分を遠ざけていた。
いざその言葉を、自分に向けようとしたとき、涙がこみ上げてくる。
私はずっと、その言葉を待っていたんだと思う。
私に“わたしの存在価値を認めてほしい”ということを。
私は完璧じゃないし、今も迷うし、時には自己否定に引っ張られそうになる。
でも、欠乏や恐れに気づいたとき、それを責めるのではなく、
「ここにも、私の大切な一部がいたんだね」と、優しく抱きしめ、
そして、選び直す。
愛の中で、愛ベースから選ぶということを繰り返し、浸透させていく。
いま気がついたばかり。
急がなくていい。
焦らなくていい。
それを震わせ、放ち、進化させていく。
「わたしには価値がある」――この言葉が、理解じゃなく
本当にわたし自身がそうある日まで。
迷い、揺れながら。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます