今朝の私は「とくに気づきはなかったな」と思いながら、自分との対話を終えました。

けれど振り返ってみると、それは“気づき”というよりも、“自分を見つめ直す”時間でした。

 

これまで私は、思考から湧き上がる感情や反応の多くを、無意識に他者を通して見ていたことが分かりました。

そこにはいつもジャッジがあって「気づいた私=〇、他者=✕」という図式のもと

自分の正しさを正当化させたいというエゴがありました。

それが私にとっては当たり前で、無意識に行っていたことでした。

 

でも、そこに意識を向けたことで初めて「あ、これはもう私がやりたいことではないな」と感じたのです。

とはいえ、それを完全にやめられるわけではなく、やってしまう私もいる。

だから、せめてジャッジではなく「私の中から出てきた思いで、私がそう感じたことなんだ」と

そう最終的に「わたしへ戻る」ことに決めました。

 

これは、愛ベースで選択しているってことだと気づいたんです。

誰かが〇で、誰かが✕の世界は私の中では愛ベースではないからです。

 

そう考えると、以前は依存していた私が、今は自律してきているのをじんわりと感じています。

 

気づきが進化してきていることも、改めて実感しました。

今までは、他者を通して私を写してもらっていたけれど、認めたくない、見たくない部分は

他者やお金を盾にして、そこから自分を遠ざけ、都合のいい部分だけを“気づき”として拾っていました。

でも今は、たとえ見たくないものであっても、自分の内側から湧いたものをそのまま受け取っている。

自己主体、自責であることにシフトしているんだなと感じています。

 

外に意識が向くこともあるけれど、そのたびに内側へ戻ればいい。

 

**「私は、まさにわたしを生きてるんだなー」**

 

 

今日も天気がいいので、自然の中へ行って

なにもしない私で、ただ「ある」を感じていたい。

 

風に揺れ、光に包まれながら、

ただ「わたし」としてそこにある時間を過ごしたい。

 

言葉はいらない。

ただ、そこに還るだけ。

 

きっとその時間が

また次の静かな変容を運んできてくれる——そう感じてる。

 

 

 

 

最後まで読んで下さり
ありがとうございますドキドキ

 

 

読んでくださったあなたには

さらなる幸福が訪れますキラキラ