今日、私は大きな気づきがありました。

それは、「行きたい」「やりたい」と思うと、その後の生活が苦しくなる――

そんな思い込みを、自分が持っていたことに気づいたのです。

 

でも、実際にはこれまでいろいろ行ったり、やったりしてきたけれど、

“いま”苦しくはない。

ままならないことはあるけれど、それでも「苦しい」わけじゃない。

 

それなのに私は、行きたいイベントがあっても「お金がないから行けない」と、

はじめから決めつけていました。

 

イベントのページを開いたり、交通手段を調べたりすることすら封印して、

「行きたい」という気持ちそのものを、なかったことにしていたのです。

 

でも、今日は違いました。

行きたいと思っていたイベントのページを開きました。

すでにソウルドアウトだったけれど、それでも開いた。

そして、飛行機を調べてみた。

これが、私の意思表示(行動)です。

 

行けなければダメ、行けないなら最初から思ってもダメ――

そんなふうに、自分にとても厳しくしていたことに気がづきました。

 

そして行動すること自体が“意思表示”なのだと、ようやく腑に落ち

行動することで現実が動き出すのだと実感しました。

意思表示をしなければ、何も動かない、何も起きない。

 

これまで、その意思表示すら自分から奪っていたことに、深い悔しさを感じました。

だから、「悔しい」という感情が最近よく出てきていたんです。

それは、封印していた自分の願いや気持ちへの悔しさだったのです。

 

私はこれまで、「現実を変えるには行動が必要だ」と言われることが苦手でした。

でも本当は、私自身が“行動”を怖れていたんだとわかりました。

 

「行きたい」と感じること、調べてみること――それすらも“行動”だったのに。

そんなささやかなことさえも、自分にゆるしていなかった。

こんなにも自分を抑圧していたなんて、どれだけ自分に厳しかったんだろうって思いました。

 

いま気づけてよかった。

 

私はいま、ようやく「意思表示ができる嬉しさ」を感じています。

そして、「現実が少しずつ動き始めたかもしれない」という、淡い悦びも。

 

これまでと違う選択をしているのは事実ですが、

それは、もしかしたら“期待”かもしれません。

もしこれでも変わらなかったら――

そう思うと、どこかで「もう打つ手はない」という絶望も隠れている。

だからこそ、悦びが“淡い”のかもしれない。

 

でも、これが“いきている”実感なんだと、かみしめています。

 

 

 

最後まで読んで下さり
ありがとうございますドキドキ

 

 

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さらなる幸福が訪れますキラキラ