私はずっと、外側の出来事に反応して生きてきました。
「いい・わるい」「正しい・間違っている」「ホンモノ・ニセモノ」…
自分の中の正義感と照らし合わせては、無意識にジャッジしていたのです。
そしてまた、それを外の世界に探しに行く。
それが“当たり前”だったし、それしか知らなかったのです。
でも、ノートに向かい、自分と対話していく中で
「私は何を感じているのか?」「何を思っているのか?」と問いかけていくと、
その思考や感情が、過去の出来事とリンクしていることに気づきました。
特に幼少期の記憶がよく出てきて、その頃の自分を癒していく。
これが、世にいう“インナーチャイルドの癒し”なのかもしれません。
当たっているかどうかは別として、私は自分と深く向き合う中で、そこに辿り着いたのです。
感情や思い出の数だけ、癒しがある。
それは今世だけでなく、もしかしたら前世からの記憶なのかもしれない。
私は、思考(マインド)の中で、ずっとそれを続けてきました。
けれど、それは決して悪いことではありません。
むしろ、それが私にとって必要不可欠だったからこそ、
今こうして「思考(マインド)の中で」と言い切れるのだと思うのです。
こうして言語化するまでに、実はかなりの時間がかかりました。
一瞬でも、思考(マインド)の“外”を、垣間見たからかもしれません。
大切なのは、“いま”。
いま、何を感じているか。
いま、何をしたいか。
ロジカルな思考の世界は、本当に面白くて、発見の連続で、私は夢中になっていきました。
悲しみ、怒り、無念…抑えていた感情や深く潜っていた感情があふれ出し、
そして、喜びや誇り、自己信頼も強く感じられるようになっていったのです。
因果関係や、自分の中のパターンも見えてきて、
「どうしてそうなるのか」が、ふっとわかる瞬間も増えていきました。
けれど、ふと気づいたのです。
「知らないことを知りたい」という好奇心のエンジンが、静かに止まりつつあることに。
それでもなお、ノートに向かい、自分と丁寧に向き合い続けていると、
また、新しい情報が、静かに、でも確かに入ってきました。
——「そうじゃない世界もあるんだ」
そう気づいたとき、静かな衝撃が走ったのです。
今朝、洗濯機の「洗い終わりましたよ〜」という音を聴きながら、
私はそっと、ひとつの決心をしました。
ロジカルな思考の世界の“外”へ出よう、と。
思考の世界でも、人は確かに拡大していけます。
けれど、どこかで常に「思考という枠」がつきまとっているような感覚を覚えました。
前に進むために、ぶつかっては突破し、拡げていく。
言い換えれば、「拡げるために思いつく」という感覚。
それはそれでとても大切で、繊細なこと。
でも、“思考の外”へ出るというのは——
魂の意識で生きるということ。
そこは、“限界のない無限”の領域。
思考は、肉体という器を持っています。
だからこそ、どれだけ広げても、どこかに“肉体の限界”という枠がある。
もちろん、私たちは人間として生きているのだから、それも体験しながら、
同時に——意識の外へ出てみたい。
そんな、新たな好奇心のエンジンが、静かに動き始めた気がしています。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます