最近、自分の中に昔からあった「感覚」に、ふと気づいたんです。
それは——
「できてしまうと、つまらない」
という感覚。
子供の頃、私は運動が得意で、教わらなくてもできることが多かった。
自転車も、泳ぎも、跳び箱も、鉄棒も。
田舎だったからスクールなんてなかったけど、誰かがやってるのを見て、見よう見まねでだいたいこなせてしまってた。
でも、だから女子と遊ぶのはちょっと退屈だった(笑)
彼女たちは「できない」ことが多かったから。
私は男子とばかり遊んでいた。
今思えば——
その感覚って、どこかに「男の方が上」って思っていたのかもしれない。
あの頃、か弱い女性を見てイラっとしていたのも、きっとそういう根っこがあったんだなって、ようやく気づきました。
面白いのはここから。
私は大人になって、「心」の探究に夢中になったんです。
それは、まったく分からなかったから
見えない世界、感覚の世界、なぜそう思うのかも分からない。
分からないことだらけだからこそ、知りたくて、掘って、探って、ずっと夢中になってきた。
でもね。
最近ふと思ったんです。
「わかってしまうと、面白くない」って。
それって、子供の頃と同じなんですよね。
運動が“できてしまう”と面白くない。
心のことも、“わかってしまう”と面白くない。
私にとっては、未知の中に身を置くこと、つかめないものに触れようとすることのほうが、ずっと面白い。
今は、ロジックも因果も意味もない世界に惹かれてる。
そこには、なにかを「掴もう」とする意欲すらない。
ただ感じて、ただ在る。
その先にあるのは、言葉にならない
私にとっての“自由”
今は、そんな場所に還っていくような感覚の中にいます。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます