先日、コピーをしに近所のスーパーへ行きました。
買い物をして、必要なものをコピーして、帰宅。
ところが……「コピーした原紙がない!」
まずはスーパーへ電話して、コピー機に原紙が残っていないか確認してもらう。
すると、「コピー機に原紙はありません」との返答。
自分の行動を思い返しても、コピー機から原紙を取り出した記憶がない。
やっぱり自分の目でも確かめたい。
そう思って再度スーパーへ向かう途中、
こんな選択肢が頭に浮かびました。
・もし見つかったら連絡してもらえるようお願いしよう
・最悪、原紙を再発行してもらおう
いろんなパターンが思い浮かんだので
「まぁなるようになるか」と思いながらスーパーへ。
コピー機のふたを開けてもやっぱりない。
でも、ふたを閉めたその時―――
紙が一枚、上に置いてあるのを発見!
あったーーー!!
どうやら、誰かが後から使ったときに
取り忘れられた原紙をコピー機の上にそっと置いておいてくれたようでした。
「やったーーー!」
「あったーーー!!」
世界は優しいなーと感じながら帰宅。
結論:だーれも悪くない。以上。一件落着。
***
昔の私だったら、きっとこうなっていたはずです。
「スーパーの人、ちゃんと見てくれなかったんじゃないの?」
「原稿が盗まれてたらどうするの?」
「私はなんてドジなんだ、だからダメなんだ……」
自分を責めて、責めて、責め立てる。
そして、その責めから逃れるために次にすることは――
他人のせいにする。
「スーパーの人がちゃんと見てくれていれば、私は自分に責められずに済んだのに」
と、怒りの矛先を相手にすり替えるのです。
でも、実際は怒りは収まっていない。
ただの責任転嫁でしかない。
このままだと、似たような出来事が起きたときに
また同じ怒りのループが繰り返されるだけ。
この負の循環から抜け出すには――
自分を責めないこと
「コピー機から原紙を取り忘れた」という事実だけを、事実として受け入れる。
そこに「良い」も「悪い」もない。
ただ、そうだっただけ。
じゃあどうしようか?と、次の選択肢を考える。
・電話する
・もう一度見に行く
・見つかったら連絡をもらう
・再発行してもらう
選択肢がいくつか出てきた時点で、実はもう解決の糸口は見えてる。
それなのに
「面倒くさい」
「恥ずかしい」
「嫌味言われたらどうしよう」
「ドジなのがバレるのが嫌」
「なんで私がこんな目に遭うの」
「なんで私がこんなことしなくちゃいけないの」
罪悪感や羞恥心、正義感や責任感、エゴが顔を出し
(責めてるのは自分なのに)
自分を守ろうとして
「私は悪くない」と言い訳をしたり
「私さえよければ(悪くなければ)いい」から
「スーパーの人が悪い」と責任をすり替えたり
なすりつけの独り芝居をしてる。
でも、それって何の解決にもならない
モヤモヤだけが残る。
これは以前の私のパターンでした。
でも今の私は――
「原紙は“ある”」そう思えたんです。
“ある”を、コピー機の上に限定してしまうと
他の場所に“ある”という可能性を自分で閉ざしてしまう。
だから選択肢が狭まるし、執着も生まれる。
でも「見つかったら連絡をもらおう」
「原紙は再発送してもらおう」と
他の“ある”も受け入れられれば、選択肢は増える。
“ある”が見えると、自分を責める理由も、人のせいにする必要もなくなる。
モヤモヤも残らない。
無理やりポジティブに考える必要なんてなくて
ただ、“ある”の範囲を自分の中で広げればいいだけなんです。
自分の器を広げて、選択肢を増やす。
そのために大事なのは
自分と向き合うこと。
自分を知ること。
答えは、いつだって自分の中にあるから。
最後まで読んで下さり
ありがとうございます
読んでくださったあなたには
さらなる幸福が訪れます