今や 塩素系漂白剤の メジャーブランド名 「ハイター」

自分の世代にとって 漂白剤の代名詞でした。

 

実は「ハイター」の名前は 

1966年(昭和41年)夏から 名称変更されたもので

 

それまでは「花王ブリーチ」の名称で 

発売・販売されていました。

 

今回は「花王ブリーチ」の誕生(1962年)から 

名称変更(1966年)までの

お話を したいと思います。

 

1962年8月 朝日新聞・読売新聞に掲載された 

「花王ブリーチ」新聞広告

 

洗濯の仕上げ剤への 本格的な動きを見せた 

1960年代当時の花王石鹸(株)

柔軟剤・(塩素系)漂白剤・化学のり 

この3品の商品化を模索していた中

1962年2月にまず 柔軟剤「花王ソフター」を発売

そして8月 塩素系漂白剤「花王ブリーチ」が 発売されたました

 

発売発表時の 花王ブリーチの ボトルとラベル

(花王だより より)

 

この「花王ブリーチ」は お洗濯の時 

洗剤と同時に漂白ができることを アピールしたのが

ポイントでした。

また汎用漂白剤をアピールしていました

 

付着汚れは 洗剤でも落ちるものの、染着(せんちゃく)汚れは 洗剤では 落ちないもの

繊維の奥に しみ込んだ 汚れを 消すのを アピールしました。

また 時間の経過した 汚れや 化学変化による 黄ばみにも 効果のあると 宣伝しました。

 

 

広告は TV・ラジオ・全国紙など 主要マスコミのほか 

 

 婦人向け月刊誌や 

 

 自社洗剤箱裏にも

 

PR効果により 瞬く間に 漂白剤の トップブランドになりました

ボトルが硝子瓶でなく ポリエチレン瓶だったのも 消費者が受け入れたのだと思います。

 

発売当時 白のボトルも のちに スカイブルーのボトルに代わりました。

 

広告を見ても ボトルの着色がわかります 

平成の世 漂流物で発見された 花王ブリーチの青ボトルとラベル

 

 

これにより 「洗白剤 アロマ」の 

双信化学工業は ポリエチレンボトルの

「アロマA(エース)」を発売

 

 

同業他社(モノゲン)(アデカ)も 

「モノゲン ブリーチ」「アデカ ブリーチ」を

日本油脂や中小メーカーも「・・・・・ブリーチ」という名称で 発売し

類似品が 続出。

 

  

昭和41年 最大のライバル(ライオン油脂)が

仕上げ剤3品を発売

その中に 塩素系漂白剤「ライオンブリーチ」が

 

類似品対策とライバル企業の動きに 花王石鹸側は 素早い動きを見せ

仕上げ剤3品に 固有名詞をつけ それを商品名にすると 決意しました。

 

(昭和41年7月25日付 日本洗剤新報)

 

同年7月下旬 関係者・マスコミに対し

「花王ブリーチ」「花王ソフター」の名称を

ブリーチ 漂白剤は「(花王)ハイター」

ソフター 柔軟剤は「ハミング」

に変更すると発表

 

ブリーチはハイターに名称が変わるという 

広告(日本洗剤新報の広告より)

 

 

 

「花王ブリーチ」の名称は 

消費者向け商品から 姿を消した。

 

ただ 沖縄(当時の 米国領)向けと業務用一斗缶は 

「花王ブリーチ」で存在した。

 

(急告・名まえが変わりました)の見出しの

「花王ブリーチ」から「(花王)ハイター」へ 

「ソフター」は「ハミング」に

(婦人向け月刊誌広告より)

 

参考文献 

婦人向け月刊誌(婦人生活)(主婦の友)

       (主婦と生活)

問屋・販売店向け広報誌 

(花王だより)花王石鹸発行

問屋・販売店向け業界新聞

(日本洗剤新報)

     

朝日新聞・読売新聞 縮刷版