父が、うちに子どもたちをみにきてくれました。

平日の午後。

2時間かけて来てくれます。

子どもたちは、学童クラブに行かずに下校できるので、

じぃじが来てくれるのを本当に楽しみにしています。


私も、いつもより少しだけ長く残業できるので

ありがたい。



夕方、仕事を終えて、

父を車に乗せて、駅まで送りました。


父は道中、同年代の知り合いについてずっと語っていました。父は80歳。

「認知症になった知り合いが、

 聞かれたことに正しく答えることが

 できないんだよ。

 ああはなりたくないな!」


「ダンスの仲間はみんな筋力が弱くて

 オレみたいに、足が使えないんだ!」


80歳の人に2時間かけて助けにきてもらい

これから2時間かけて帰る、その見送りだから

父が気持ちよく帰れることを考え、

そうなんだ、と相槌をうっていました。


本当はその話を聞きながら不快で悲しかった。


本当にありがとう!

と別れました。

ありがとうは本当に本当。


ただ

私は話を聞きながら

こうして他人を見下すことに喜びを感じる人物が

私の父なんだと思って

悲しいというか、情けないというか

やるせない気持ちになりました。

不快感もあった。


私が子どもの頃から

父は自分が見下せる誰かを探して、

その人より自分がいかに優れているかを

いつも話していた。

毎晩毎晩。


大人になって、距離をおいて付き合えるようになって

だいぶこの話を聞かなくてすんでいるけど

子どもの頃の私には

有害だった。

いやだった。


いつも機嫌の悪い父親を

いい気分にさせなくちゃって

相槌を打つことを

私の義務みたいに感じていた。


親に求められるがままに

勉強とスポーツで結果を出して

できない人を下に見る。

結果が出せなければ

家庭内で肩身が狭い思いをさせられる。


一番悲しくていやなことは

そういう日々を送り、

私自身にも強烈に

他人を見下す思考が身についていること。


お父さんを軽蔑していると自覚する悲しみと

私自身もそっくりな性格であるという悲しみ。



今日主人に

怒りについて

ネットの記事に書いてあったことを

紹介したら


「勉強できていいね」

と言われました。

皮肉っぽく。


主人には

「私はこんなに知ってるの!」

ってマウントとってるように

伝わっているのだと思いました。


わたしは

主人に対しても


日常で

頼りにして

お世話になっているけれど


残念に思っている。

尊敬していない。


この人が私の夫だと思うと残念。

と思っている。


父に対するのと似た感情を

夫に対して感じています。


その雰囲気が

主人に伝わっているのでしょう。


だから

皮肉を言ってくるんだろうな。


ここ最近、夫と本音で話して

子どもにも私にも怒鳴るのをやめてほしいと

しっかり言いました。


でも私は、

言うだけで

結局は、彼から離れていっていない。

だから、彼は

私にはどんな扱いをしても

こいつはオレから離れていかないと

経験的に知っていて

好き放題に暴言を吐くのでしょう。


無限ループ。


暴言をやめるきっかけ

変わりたいと思うきっかけを

私が彼に与えていない。


私は20数年間、障害をもつ人たちとかかわる仕事をしています。

損なわれている器質的な部分を治すことはできないけれど、残存された能力を生かして、社会で生きていけるように、その人なりのベストを探る仕事をしてきました。


子どもの頃から

人間として大切な何かぶっ壊れている父親、母親と過ごしてきて、


「この人の不幸を解決してあげなくちゃ!」


と感じてきて

対人援助の仕事を始めるパターン。


まさしくそれ。


結婚するときも

夫は私には優しかったけど

お店の人や

運転中、他のドライバーに対して

彼のお母さんに対して

びっくりするようなきつい態度をとる時があって


あとで調べたら

モラハラ男性の特徴なんだけど


私はその一面を知りながら結婚してしまった。

その意味では私もぶっ壊れていて

人を見分ける

センサーがうまく働いていない。


(これから結婚される毒親育ちの方

 お気をつけてください。

 子どもの頃から親のおかしなところに

 目をつぶってきたぶん、

 選球眼がゆがんでいるかも。

 上記の特徴の男性は、今はあなたに優しくても

 何年か後に

 彼の抱える怒りの矛先を

 あなたに向けてくる可能性大です。

 結婚しようか迷ったら

 ぜったいにやめたほうがいい。)


結婚して2年弱の

10年前に暴言が始まり、

7年前に彼のお母さんが亡くなったら

ますます

暴言は私に集中するようになった。


私は

身近に困った人を置いて

その人に依存しながら

その人を軽蔑している。

経済的安定というメリットと

相手が変わってくれるかも、という期待を

捨てきれずに

葛藤するというパターンを

私自身がずっと人生で続けている。


両親にも、夫にも。


これは本当に私自身の選択の問題。

本当は離婚して

彼と離れることが

お互いのためだとも思う。



ぜったいに逃げないサンドバッグがいると

彼に学習させているのは私。


子どもの頃

両親からは逃げられなかったけど

今は大人だから

自分で選ぶことができる。


この人に変わってほしいって

両親に対して願ってきた。

仕事でも、

結婚生活でも

だれか他人を変えなくちゃ

変わってほしいって

ずっと要求している。


他人の人生はその人のものだ。

過干渉。お節介はやめる。

いい加減学ばないといけない。


私は私の道を探していかなくちゃ。



おわり