ミュージカル『ベートーヴェン』の初日を御園座で観劇 | to-be-physically-activeのブログ

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 御園座で井上芳雄さん主演のミュージカル『ベートーヴェン』の初日を観劇してきました。1810年頃のウィーンを舞台に,旧弊な貴族社会の中で演奏活動や自由な発想での創作に行き詰まりを感じたベートーヴェン(ルートヴィヒ)が,生涯の“不滅の恋人”であり彼の創作活動の理解者とされるアントニー・ブレンターノ(トニ)との心の交流を経て作曲家としてさらなる飛躍をしていくお話でした。

 アントニー・ブレンターノ役は花總まりさんが務めました。井上さんと花總さんの共演は,昨年1月の『エリザベート』以来です。作品も『エリザベート』と同じく,クンツェ&リーヴァイの脚本と音楽をベースに,舞台装置や振付には韓国のEMKミュージカルカンパニーが参加していました。楽曲のほぼすべてはベートーヴェンの交響曲やピアノソナタを素材にシルヴェスター・リーヴァイがミュージカル版にアレンジしたもので,どこかで聴いた記憶が蘇るメロディーが再現されていました。クラシック畑の井上さんにとっては学生の頃に戻ってオペラのような歌唱の基本に戻る機会であり,花總さんにとってはポップスやロック調の力強い声出しというよりはクラシックのメロディーラインにあわせた歌い方の工夫が必要になる難しい楽曲の連続だったようです。

 物語の背景となっているベートーヴェンの“不滅の恋人”が誰かについては,日本の青木やよひさんの50年近くに及ぶ粘り強い研究成果によるところが大きく,現在ではその女性がアントニー・ブレンターノであることがほぼ確定しています。文末に青木やよひ(著),『ベートーヴェン・不滅の恋人』(河出文庫,電子版,2009年11月)のあとがきの部分を抜粋引用しました。聴覚障害に苛まれながら自由な発想での音楽の創作を追求したベートーヴェンと不幸な夫との関係に翻弄されたアントニー・ブレンターノのソウルメイトとしての交流がミュージカル『ベートーヴェン』の中で詩情豊かな楽曲によってときに切なく,ときにドラマティックに描かれている秀作だったと思います。EMKカンパニーの演出なので,随所に感情の機微を表現するコンテンポラリーダンスの技が生かされている点も注目に値しました。

 今回の作品の音楽監督は甲斐正人さんでした。個人的にベートーヴェンの生涯を題材にしたオリジナルミュージカルの最高峰だと思うのは,2021年の宝塚雪組のミュージカル・シンフォニア『f f f -フォルティッシッシモ- ~歓喜に歌え!~』です。上田久美子さんの大胆な発想による創作ミュージカルでしたが,この作品にも音楽監督として甲斐正人さんが参加しています。機会があれば日本オリジナルの『f f f -フォルティッシッシモ-』も,形を変えて再演してほしいと願っています。

引用文:青木やよひ,著,『ベートーヴェン・不滅の恋人』(河出文庫),電子版,pp. 570-573,2009年11月のあとがきより抜粋。

 ベートーヴェンに私自身が出会ったのは,いまから六十年以上も前だった。十八歳で戦後の社会的混乱の中に投げ出されて,人生の指針を喪失していた私に,彼の晩年の『弦楽四重奏曲第十五番』(作品132)が,人間として生きる究極の意味を啓示してくれたのだった。

 だがその後,そんな「神の如き」ベートーヴェンにも,相思相愛の人との辛い別れがあり,しかもその女性が誰か,百年後にもなお謎のままであると知って,熾烈な好奇心にとらえられたのだった。そして1959年にその女性がアントニー・ブレンターノであると,世界ではじめての説をNHK交響楽団機関誌「フィルハーモニー」に発表した。だが日本語で書かれたので反響はなく,国内の専門家からはそのあまりもの意外性に冷笑された。

 その後五十年間,東欧各地へも度々足をのばして実地検証し,諸文献も集め,自説を実証しようとひたすら彼の生涯を追い続けた。この間,ボンのベートーヴェン・ハウス博物館長ミヒャエル・ラーデンブルガー博士の一方ならぬご助力を受け,これがその後の私の研究にとって大きな励ましとなった。そしてこの問題は,2001年に発表されたクラウス・M・コピッツ博士の論文により私の説が完全に裏づけられたことで,決着をみた。その結果,2008年にイウディツィウム社から私のほんのドイツ語訳が出版され,高い評価を受けいている。

 だが,その研究の過程で,きわめて人間的で徹底した自由人であったベートーヴェンの相貌に接した私は,陰鬱なウィーンの場末で生涯を過ごした「陰気で悲劇的な英雄」という従来のベートーヴェン像を一掃したい思いに駆られた。シントラーの捏造やマリアム・テンガーの偽書にもとづいてこうして誤ったベートーヴェン像を世界的に流布したのは,ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』に他ならなかった。戦後の一時期,ロランから生きる力を与えられた私にとって,彼を批判することは辛いことであったが,先入観の恐ろしさを自戒するためにも,本書ではあえてそれを行なった。

 いまグローバリズムが崩壊し,近代文明も袋小路に入り込んだかに見えるこの時代に,『第九交響曲』に代表されるベートーヴェンの音楽は,近代の限界を超えた射程で人類のめざすべき理想を語りかけているように思われる。この本でその秘密の一端にも触れていただければ幸いである。