せっかく下関を訪れたので,壇の浦合戦の犠牲になりわずか8歳で没した安徳天皇を祀る赤間神宮にお参りしてきました。境内の一隅にはこの合戦で源氏に敗れた平家一門の武将たちに所縁の七盛塚もひっそりと祀られていました。「七盛」といっても,安徳帝を抱いて入水した清盛の妻・平時子(従二位尼)を含めた十数名の供養塔から成り,主だった武将は平教盛,平知盛,平経盛,平教経,平資盛,平清経,平有盛,平盛嗣とのこと。あれ?「六盛」じゃないかと思いましたが,清盛を入れると「七盛」になるとのことでした。
奢れるものは久しからず,と言いますが壇の浦に沈んだ平家一門たちにとっては「浪の下にも都のさぶらふぞ」とお互いを慰めあっているのかもしれません。そぼ降る雨に濡れた供養塔に静かに手を合わせてきました。