東京宝塚劇場で花組公演『うたかたの恋』(原作/クロード・アネ,脚本/柴田侑宏,潤色・演出/小柳奈穂子,作編曲/寺田瀧雄,吉田優子)を観劇しました。友人が行けなくなったので,その代理です。宝塚大劇場に続いて2回目になります。宝塚歌劇らしい様式美と華麗な衣装で彩られ,ウィンナーワルツやハンガリー舞曲に乗せてのダンスシーンも見どころの舞台ですので,何度見ても見飽きることはありません。でもやっぱりハプスブルグ家の御曹司で皇太子・ルドルフは恋人のマリー・ヴェッツェラを道連れに心中してしまうという悲劇的な結末には変わりはありません。
皇太子ルドルフが生きた1880年代のウィーンは憂うつと不安の都市であり,いつも“死”が似合う街であった,と仲晃氏は書いています(「うたかたの恋の真実 -ハプスブルク皇太子心中事件-」,青灯社,2005年)。この時代のウィーンは,欧州第一の自殺率で知られていたそうで,人々はまるで自殺するための口実を探して生きている感があったそうです。大学進学試験に落ちた学生,初恋に敗れた少女,カネ詰まりの商人・・。誰もが実に手軽に死を選んだそうです。
ルドルフもまた時代の空気に飲まれてしまったのかもしれません。父であり皇帝であるフランツ・ヨーゼフ帝は内政でも外交でも保守的であり,自由主義的な改革をもくろむ皇太子とは常に対立が絶えませんでした。ルドルフの自殺は父に対する抗議であると捉えることが適切なのでしょう。今回のお芝居でも最後は皇帝の命を受けて親友であるはずのフェルディナンド公がルドルフを反逆の疑いで逮捕するためにマイヤーリングを訪れたことが自裁のひきがねになっていました。
ルドルフよ,もっと狡猾に生きろ!と言いたいところですが,絶望的な状況に対処するだけの心の余裕は彼にはなかったのでしょう。悩みを抱え自暴自棄になったルドルフを柚香光さんはお芝居の中で繊細に演じたと思います。
読売新聞の編集手帳に「木の芽時」の心の変調について書かれていました。フランツ・カフカのことが取り上げられており,カフカ研究家の頭木弘樹さんの著書『絶望名言 -NHKラジオ深夜便-』の内容が紹介されています。ルドルフも,ゲーテやカフカのような生き方を選べばよかったのにと単純に考えますが,それが許されなかったのは名家の後継者だったことが呪縛になっていたのかもしれません。
そろそろ本当に季節がわりの木の芽時を迎えます。コロナ禍の暗雲が晴れて心の緊張が緩む時期は,却って精神のバランスを崩しやすくなります。自分も含めてまわり人たちのことに気遣って生活しなければなりません。
引用文献:読売新聞2023年2月25日「編集手帳」より全文引用
『変身』などの名作を残した作家フランツ・カフカは,人生に臆病な人だったらしい。結婚したいと思っていた女性に,何とも変わった恋文を書いている。
<将来に向かって歩くことは,ぼくにではできません。死往来に向かってつまずくこと,これはできます。いちばんうまくできるのは,倒れたままでいることです>。
ふつうなら,倒れても立ち上がると書くところだろう。この手紙にペンを走らせたのは1913年2月28日,カレンダーが翌日から春に変わる夜のことだという。昔から春は「木の芽時」と呼ばれ,心身の安定を崩しやすい季節として知られる。毎年の死因統計にそれが如実に表れている。こう書くと,カフカは自ら命を絶ったと誤解されそうだが,彼はいくら人生に臆病ですそれだけはしなかった。そんな作家を,先の手紙の訳者である文学研究者の頭木弘樹さんは「絶望名人」と呼んでいる。悲しみやつらいことで崩れそうになったとき,心の持ち方を行間にさがしてほしいと言う。頭木さんは難病で寝たきりになった経験がある。その頃,すぐに立ち上がらなくていいと読んで救われたそうだ。