北野天満宮に参拝し菅原道真の母のことを想う | to-be-physically-activeのブログ

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 先週土曜日,京都劇場で劇団四季『ノートルダムの鐘』を観劇した後,市バス50号系統に乗って北野天満宮(上京区馬喰町)に参拝に行きました。到着したのが午後4時半頃だったので既に御本殿の扉は閉じられていて入場はできませんでした。梅の開花も3分咲きほどで期待したほどではありませんでした。

 仕方ないので境内をぐるりと回りながら摂社や末社にお参りしてきました。摂社と末社だけで500もあるそうで驚きです。末社の中で興味深かったのは「伴氏社(ともうじしゃ)」です。立て札に由来が書かれていたので,そのまま引用します。

 

末社 伴氏社

御祭神 菅原道真公の母君

御神徳 子どもの成長と学業成就を守護

例祭日 1月14日

 菅原道真公の母君が大伴氏の出身であることより伴氏社と称する。かつては,石造りの五輪塔が置かれていたが明治維新の神仏分離政策により,当社南隣の東向観音寺に移された。暖かい愛情と厳しいまなざしをもって菅公を優秀な青年官吏に育て上げられた母君を祀るこの神社は,わが子の健やかな成長と大成を願うお母様方の篤い信仰を集めている。神前の石鳥居は鎌倉時代の作で,国の重要美術品に指定されており,台座に刻まれた珍しい蓮弁により有名である。

 菅原道真のお母さんが大伴氏の出身だということは初めて知りました。現在宝塚大劇場で上演中の月組公演『応天の門』の原作漫画でも,藤原北家が天皇との姻戚関係を築きながら権力掌握に奔走する過程が描かれています。藤原基経らは大伴氏(平安時代は伴氏)ら旧来の有力氏族の追い落としに躍起になっていました。今回のミュージカル作品は菅原道真(845-903年)が10代の頃の時代設定であり,866年に起きた応天門の変のことには触れられていませんでした。しかし人物相関図には反藤原勢力であった伴善男,伴中庸の父子の名前を見出すことができます。彼ら伴氏一族は,応天門の変の首謀者に仕立て上げられ藤原基経らによって失脚する運命にあります。伴善男の役を演じていたのは夢奈瑠音さんでしたが,今回の舞台では内裏での朝議の場面以外の出番は少なくちょっと残念でした。

 菅原道真にとっては,藤原家一族の策略により母方の伴氏や名門貴族が次々と権力から排除されている過程を眺めながら内心忸怩たる思いに駆られていたことでしょう。最後は道真自身が藤原時平(871-909年)によって失脚させられ太宰府に左遷されることになります。

 伴氏社にお参りした頃には,すっかり境内は日暮れになりました。帰りは四条河原町に寄りたいと思っていましたが,疲れてバスで京都駅まで直帰しました。