朝月希和さんが銀橋で唄う『ちいさな願い』 | to-be-physically-activeのブログ

to-be-physically-activeのブログ

ブログの説明を入力します。

 ミュージカル『蒼穹の昴』の第1幕で,朝月希和さんが銀橋で唄う『ちいさな願い』(作詞/原田諒,作曲/玉麻尚一)は心に沁みた。貧窮の中で父母や兄弟を次々に失い,故郷に取り残された幼き日の李玲玲。寄る辺なき孤独の中で,兄・春児の消息を思い夕焼け空の一番星に微かな未来への希望を託した哀切な歌詞である。

 

♪ふわり ふわり 

 柳絮(りゅうじょ)のように

 風に乗って 

 飛んでゆけたら

 また会えるのかな 

 父さん 母さん

 お兄ちゃん

 

 「柳絮」とは,柳の花が咲いた後に白い綿毛のある種子が風に乗って雪のように飛散する様子をいうらしい。近代都市に生まれ変わった現在はどうか知らないが,柳の街路樹の多い北京などでは春の風物詩のようである。日本国内でも柳の木が多いところでは,運が良ければ遭遇することができるようだ。

 原作では,梁文秀と李春雲・玲玲の故郷,河北省静海県の梁家屯(リアンジャートン)の光景の中で柳絮の舞い散るさまを描写している。李玲玲は北京に行ったまま行方のしれない兄・春雲(春児)の帰りをまだかまだかと待ちわびている。彼らの故郷が不毛の大地であることも文章からうかがえる。大地にしがみついても生きる糧を得ることすらできない絶望的な状況で,運命を切り拓くにはふる里を捨てて未知の世界に雄飛するしかない李春雲・玲玲の立場が描かれている。

以下,原作より引用

 

 (まだかなあー)

 風に舞い踊る柳絮を追うのにも飽きて,玲玲は街道の涯に目を凝らした。

 白い綿毛の柳の種は日ごとに数を増し,雪のようにあたりを被っている。兄の帰りを待つこの数日のうちに梁家屯には春がやってきた。

 都に上がった旦那様たちはとうに帰ってきたというのに,どういうわけか少爺(シャオイエ)と兄だけが戻ってこない。玲玲は日がな村はずれの街道まで出て,もう十日も兄の帰りを待っているのだった。

(中略)

 玲玲は光の中に小さな手びさしを挙げて,柳絮の舞う街道を見つめた。

 痩せた土地に村人たちが苦労してこしらえた高梁畑は,そのあたりにはもうなく,街道の左右は見渡す限りの葦原である。運河の土手に並ぶ柳がなければ,ただの曠野(あれの)だ。

 このあたりは昔は湖だったのだと,死んだ爸爸(パパ)が教えてくれた。お日様がほんの少しずつ水を干上がらせていって,ようやく土が現れたのだ,と。だからちゃんと野菜や麦ができるようになるまでには,まだ間がある。それもたぶん,何百年も先のことなのだろうけど。

 柳絮の綿毛が舞う中に,ぽつんと影が現れた。騾馬(らば)を追う声と蹄の音が近付いてくる。

 兄が帰ってきた。ぬかるみに足をとられながら,玲玲は駆け出した。

「四哥(スーコウ)!雲(ユン)にいちゃん!」

 玲玲は両手を振って走った。もしかしたらまた人ちがいかも知れないけれど,騾馬を追う甲高い声は今度こそ兄にちがいない。

(浅田次郎・著『蒼穹の昴』巻1,pp. 245-247, 講談社文庫,2004)

 

朝月希和さんの“柳絮の舞い”。『ODYSSEY-The Age of Discovery-』のときの舞台写真かな?