今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

文化というのは、

ありふれた日常より

ひときわ高いところに

あるもの。

 

 

僕達は、

そう考えがちです。

 

 

そこは科学者や芸術家が、

偏見もねたみも恨みもなく、

真なるものを追求するところ

であって、

 

彼らは新しい創造的

なものをすべて評価できる

存在と信じています。

 

 

しかし、

文化だって政治や宗教や

産業の分野と同じように、

 

いがみあう多くの集団から

なっているわけで、

 

我々に自分達の価値を

認めさせるため、

 

競争相手に負けないよう、

てぐすね引いているわけです。

 

 

実際に、

背後にはいつでも

組織的な集団がいて、

 

彼らが、

もちあげるべき者と

そうでない者を選り分け、

 

僕達にどの本を読め、

どの映画を見て、どれは

見るに足らないなど指示

しています。

 

 

おそらく、すべての人が

多かれ少なかれ、この

状況に巻き込まれて

いるはずです。

 

 

理由として、

皆が同じような環境で育ち、

同じ教師に教えられ、共感や

反感を深く植えこまれている

から。

 

 

だから、ある種の本や映画、

ある種のテレビ番組には、

本能的な拒否反応を示す

ことになる。

 

 

もちろん、

本当にくだらない

場合もあるけど、

 

単純に気にいらない

という理由だけで拒否

する場合もあるわけで、

 

本来なら”傑作”として

おもてにでるべき作品

だったかもしれません。

 

 

自覚のあるなしにかかわらず、

僕達は常に、いがみあう仲間や

集団に加わっています。

 

 

いがみあいに巻き込まれてしまうと

もう公平な目をもつことは難しい。

 

 

そうしていつも

先入観にとらわれていては、

きっかけやチャンスを逃すこと

になってしまう。

 

 

 

属していた仲間のもつ偏見から

解放されてみると、味けなく何の

才能もないつまらない人間だと

思っていた者が、

 

 

実は感性も経験も豊かな人間

だったと、再認識する場合も

あります。

 

 

そうすると、視野が広がり、

気分も軽くなり、呼吸まで

楽になったような気がする。

 

 

 

それは、僕達が

自由になったから

ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。