今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

何年も一緒に暮らした

カップルでも、別れたり

離婚となると、ほとんどが

争いになります。

 

 

人生の一部を

共有してきた間柄でも、

 

友人同士の別れというのは

難しいようです。

 

 

恨みや怒りや復讐心は

どうして生まれるのか。

 

 

恋をすると、人は普段とは

かけ離れた心理状態になり、

満ち足りた幸せを感じます。

 

 

ところが、

並外れた高揚感がなくなり、

恋愛感情も消えてしまうと、

 

 

かつての熱かった日々に

郷愁を覚え、それがやがて

怨恨に変わってしまう。

 

 

どちらも、

かつての期待にそわない

と言って、相手を責めます。

 

 

もし、それが事実であって、

恋の花園を踏みにじったのが

一方だけなら、恨むのは

もっともです。

 

 

しかし、

一方だけということは

まずあり得ません。

 

 

恋愛はある一定期間の、

はじめも終わりもある、

普通と違った状態です。

 

 

はじめた功績も一方だけ、

破った責任も一方だけ、

なんてことはないはず。

 

 

 

次に、恋をしている二人は、

まるで別人のようであること

です。

 

どちらも相手の注意を引き、

気に入られ、評価されたい

と思います。

 

 

だから、すすんで自分を

変えようとする。

 

 

皮肉ばかり言う人が

急に他人思いの親切な

人になったり、

 

野心的な人が

相手の為にすべてを

捨てても言いと思う。

 

 

この時点では、

どんなことでも

可能に見えます。

 

 

しかし、

それは幻想というもの。

 

 

”愛”は物事を変化させる

革新的な力ではありますが、

それにも限界があります。

 

 

熱烈だった頃はかいま見える程度

であった、人格の決定的な一面が、

安定期に入ったとたんに、堂々と

姿を現します。

 

 

鈍感さ、野心、エゴイズム、虚栄心

という欠点も、避けようもなく

出てくるわけです。

 

 

裏切られたような気持ちになるのも

無理はありません。

 

 

愛が消えていけば、

奥底に隠れていた二人の

人柄の違いも鮮明になります。

 

 

その状態で一緒にいれば、

些細な葛藤や揉め事が頻繁

になるのもやむを得ません。

 

 

そして

何ヵ月や何年も経つうちには、

亀裂や深い怨恨を生み、

 

耐えきれず破局を迎えてしまう。

 

 

こうして何事につけても

自分が正しいと信じ、

 

相手を責め続けるうちに

愛は終わってしまうようです。

 

 

 

ですから愛が終わるのは、

恋愛によって一時的に

隠されていた、もとからの

人格が顔を出すからではなく、

 

内にこもった葛藤の中で

育ててきた、

 

あらゆる攻撃的な面が

噴き出すからとも言えます。

 

 

 

最初、二人が共有していた

ものは””だけでした。

 

 

最後に共有しているものは

数知れずありますが、

 

 

多くは、復讐心に類するもの

ではないでしょうか。

 

 

 

見ず知らずの二人の方が、

よっぽどよく理解しあい、

はるかに寛容に思います。

 

 

 

 

あくまでも一般論を

述べたに過ぎません。

 

 

 

 

さわやかに別れる人も

いるとは思います。

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。