今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

経済的に十分に恵まれていても、

幸せとは程遠い状態に在る人

がいます。

 

 

他人からすれば

大変贅沢な悩みに

思えてしまいますが、

 

本人は毎日とても辛く、

心が重たい感じです。

 

 

そうした事実から、

経済的に恵まれても幸せには

なれないから今のままでもいい、

というのは何か違う気がします。

 

 

重要なのは

経済的に恵まれているとか、

いないとかではなくて、

 

その人自身が

納得して選択しているのか、

 

そうじゃないのかが

大事なのだということです。

 

 

今ある現実は、

すべて自分が選択してきた

もので成り立っています。

 

 

まずは、

自分が選択してきた

結果だと受け入れて、

 

そこから改めて自分で

選択しはじめることでしか、

幸せになる実感は得られない

のではないかということです。

 

 

周りの人からかけられる言葉や

評価を気にしすぎると、

 

それが自分を不幸にする

要因にもなり得ます。

 

 

ありきたりな言い方になりますが、

周りの目や言うことを気にせずに、

自分が納得する選択を今後一つ

ひとつ重ねていくことで、

 

幸せな自分に近づける

のではないでしょうか。

 

 

 

しかし、世の中、求めるものが

手に入らずに苦しむ人の方が

圧倒的多数ですから、

 

望んだ”経済的裕福”を

手にしたにもかかわらず

満たされないという悩みは、

 

なかなか

他の人に理解されない

という苦しみもあるはず。

 

 

僕達人間というのは、

望むものが手に入らないときは

もちろんのこと、手に入っても

心が満たされない、なかなか

難しい生き物のようです。

 

 

更には、失ってはじめて分かったり、

後から振り返ってみてはじめて

気付いたりします。

 

 

つまり、その瞬間その瞬間の

幸福感は自覚できるけど、

 

それが真に幸福だったか

どうかなんて、

 

失ってみなければ知りえない

のが人間なのだと思います。

 

 

逆に、失ってみてはじめて、

言われるほど不幸にならない

ことに気付かされることもある。

 

 

僕達は

いったんそれを所持してしまうと、

なかなか手放すことができません。

 

これを”執着”と言いますが、

人間の性のようです。

 

 

また、人間は手に入れたとたんに、

自分を納得させるために”幸福”

だと思い込む性向があるように

思います。

 

 

しかし、

その幸福感は膨れ上がっても、

決してみたされることがない

虚しいものです。

 

 

これこそ”苦しみの元

ではないでしょうか。

 

 

断捨離なんて流行っていますが、

持っていなくちゃいけない”と

思いこんでいた物が、実はなくても

生活できることに気付かされ、

 

今度は捨てることのほうに

快楽を覚える。

 

 

物が飽和状態にあるこの社会で、

そうした風潮が広がるのも当然

のような気がします。

 

 

それは、人間関係においても

言えることです。

 

 

SNSの発達で

人と人との結びつきは

拡大しましたが、

 

その過剰な付き合いに

疲れた、という悩みを抱く人も

少なくありません。

 

 

社交のスピードを落とすためにも、

意図的な人間関係の断捨離が

必要なのかもしれません。

 

 

それをすることで、

社交辞令で付き合っている人と

以前と変わりなく付き合ってくれる

人が分かります。

 

 

 

もちろん、

なくしてやっぱり後悔する

こともあると思います。

 

 

それでも、

幸福を実感したければ、

後悔することも込みで、

 

 

”一度失ってみる”

というやり方で確かめるのも

アリなのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。