今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

日本人は

『権力』ということを嫌うあまり、

権威アレルギーと言ってもいい

ほどの傾向があるように思います。

 

 

”権力と権威”は区別して

考えた方がいいと思いますが、

 

両方ごっちゃにして嫌い、

というのが日本人の在り方

ではないでしょうか。

 

 

一方、アメリカで権威というのは、

その道に関してのオーソリティで

あり頼り甲斐のある存在という

イメージ、故に好ましい感じを

与えます。

 

 

自分が”権威者である

と思うことは、

 

自分が偉くなった

気になりますので、

 

その偉い自分を守る為に

権力を使いたくなる人が

多いのも、当然なのかも

しれません。

 

 

しかし、権力によって

自分の権威を守ろうとする場合、

 

往々にして

権威は失墜するもの。

 

 

権力を行使することなく、

自分の権威を守るには、

 

権力を棄ててかかることが大切で、

そうした方が逆に、権威が高まる

可能性もあります。

 

 

つい権力を行使して

その場をごまかしたく

なりますが、

 

それよりも、後で自分なりに

調べたりする方が賢明です。

 

 

このような労力を

惜しまないことによって

得た権威は、

 

自分に身についたものとして、

他人に奪われることはありません。

 

 

権威とは努力によって磨かれるもので、

安易に手に入れることは難しいようです。

 

 

これらのことは、

親と子上司と部下教師と生徒

の場合によく当てはまりますが、

 

 

いかに強力な権力も時によって、

実にあっけなく奪われることは、

世界の出来事を見ていても

よく分かります。

 

 

しかし、望んだ権力を手に入れて

そこに安住し始めると、その味は

なかなか忘れることができません。

 

 

権力者の傍で甘い汁を

吸う人はいつも沢山いるので、

 

自分が相当に偉い人

という気分にもさせられます。

 

 

そうした状況になれば、

自分が権威者であるような
錯覚を起こすのも無理はない

ような気もしますが、

 

 

その人を崇めているかのように

見える人達のほんとんどは、

その権威など認めておらず、

 

単に利益の為に権力に

奉仕しているだけです。

 

 

ですから、

時には権力を棄ててみる。

 

または自分を守る為の

権力の行使をやめてみる

ことが大切で、

 

そうした方が内面が

磨かれるのを感じられる

はずです。

 

 

もちろん、それをするには

相当な勇気を必要とするので、

生やさしいことではありません。

 

 

権力に関心がないとか、

大嫌いという人はあんがい

多いです。

 

 

そこで、権力とともに

権威まで捨てようとするため、

 

自分の”存在意義”を

失って不安になっている

人が多いのも事実。

 

 

また、

その不安を解消する為に

急に権威者ぶろうとしたり、

 

権力にひそかにしがみついたり

している人は実に多いものです。

 

 

 

それよりも、

自分の存在を支えるものとして、

内面にある権威を磨いていくことを

考えた方が”効果的”だと思います。

 

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。