今日も

ご覧を頂きまして

ありがとうございます。

 

 

 

 

言うまでもなく、

人間関係を維持することは、

非常に難しいことです。

 

 

それを分かっているからこそ、

日常の何気ない接触のときでも、

僕達は大変に気を遣っています。

 

 

相手に伝える言葉など、

ほとんど無意識に言っている

ことでも、よくよく考えてみると、

なかなか上手くやっているもの

です。

 

 

そこで多くの人は、

”適当な嘘を上手に混ぜて”

人間関係を円滑にしている

のではないでしょうか。

 

 

しかし、そのような

常備薬としての『』も、

毎度のこと使用していると、

中毒症状”がでてきます。

 

 

だんだんとそれは

見えすいたお世辞”に

なってしまうようです。

 

 

しかも、使い慣れてくると

ほとんど自動的に出てくるので、

 

次第に、他の人間が

その人の言葉を

信用しなくなります。

 

 

本人は精一杯お世辞を

ふりまいているつもりでも、

 

本心が見えずらいために、

周囲の人は不愉快になる

ようです。

 

 

こういった”中毒症状”に

陥らない為には、

 

僕達はここぞというときに、

真実を言う練習をしておく

必要があります。

 

 

しかし、真実は”劇薬”です。

使い方を間違えると大変なことが

起こることを、僕達はよく知って

おかねばなりません。

 

 

他人を非難したり

攻撃したりするとき、

 

嘘が混じっている間は

まだ”安全”です。

 

 

その人の真実の欠点を

指摘するとき、それは

致命傷”になります。

 

 

言ってはならない真実を

口にした為に、人間関係が

壊れてしまった経験をお持ち

の方は、多く居られるのでは

ないでしょうか。

 

 

それを知らずに

”真実を言うのは良いこと”だと

単純に確信している人がいます。

 

 

こうした人は、劇薬をばらまく

確信犯的なところがありますので、

あまり近寄らない方が賢明のようです。

 

 

しかし、常備薬の使い過ぎもなく、

劇薬もあまり使わないとなると、

”無難な会話”ということになり、

面白みはありません。

 

 

そこで嘘でも真実でもない

表現が必要になりますが、

 

 

カラオケの場で

歌があまり上手でない

人に対して、

 

 

歌が下手ですね』というのは

真実”すぎます。

 

 

逆に『歌が上手ですね

というのも見えすいた嘘に

なってしまう。

 

 

そこで、何か良い特徴を

見つけたいわけですが、

 

 

その人が一生懸命に歌って

心がこもっていると感じれば、

 

 

心がこもっていましたね

というのは嘘ではありません。

 

 

それでも、特にそのことを選んで言う

というところに嘘が潜んでいますから、

 

 

これは

嘘でも真実でもない表現

と言えます。

 

 

この表現法を心がければ、

素晴らしいと思ってもいないのに

素晴らしい”と言ったり、

 

似合っていない服を

似合っている”と言う

必要もありません。

 

 

当然、”真実”という

爆弾を投げ込む必要も

ない。

 

 

そこで、

観察力が重要になりますが、

 

 

たいてい

嘘でなくても何かよい

部分があるものです。

 

 

 

もちろん、時には嘘が入ったり、

ここぞというときに真実を言う

ことも必要。

 

 

その匙加減こそが

大切になります。

 

 

 

使い方を誤ると

一瞬で人間関係は崩壊しますので、

劇薬を使用する際は細心の注意が

必要です。

 

 

 

 

 

 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

今日、来てくださった方との

出会いに感謝いたします。