理不尽な辞書の思い出(私の事) | 楽しい毎日なのか~徒然なるままに~

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日々のつぶやき ときどき息子

大分前になりますが、TVでロザンの宇治原さんが高校生の時の思い出として、

 

「バスの移動中に英語の辞書を読んでいて楽しかった。辞書は英語に限らず、読み物として素晴らしい。」

 

というような事を話されていました。

 

それを聞いた時、自分の小学校時代の出来事を思い出し、自分でも何かしら理不尽な出来事として認識していたものの、何が理不尽なのかとか考えた事もなくもやもやしていた事が、何十年も時を経て突然、その理由がクリアになってスッキリしました。

 

それは、私が小学4年生だったと思うのですが、学校の宿題で「自由学習」が毎日出ていました。

かなり昔の小学生なので (^-^; その時の担任の先生独自の宿題というものがあり、しかも当時はたぶんそのような宿題は珍しかったのではないかと思います。

 

なので、何の説明もなく急にそんな宿題を出されても何をしたらいいのかわからず、それでも初めの頃は理科の教科書を写したりしていたものの、案の定すぐにネタがつきてきて困っていたんですが、ある日、

 

 

「そうだ!国語辞典を初めから書き写していこう!爆笑ひらめき電球キラキラ

 

 

と思い立ち、早速、自由学習帳に書き写して提出したその日にびっくり

母から、

 

 

「自由学習で、辞書の「あ」から書き写してるって先生から言われたわ~。ニヤリ

 

 

と、いつもの意地の悪い、人を小ばかにしたような言い方で、さも私が怠けてよくない事をしているという風に言われ、すっかり意気消沈してしまった小学生の私は、そのたった1日で辞書を書き写すことを止めてしまいました。

 

 

・・・ひどくないですか?むかっむかっむかっ

 

 

自分で言うのもナンですが、やりなさいと言われてもなかなかできないような、かなり素晴らしい事じゃないですか?(^-^; 言い過ぎ?

 

確かに、当分毎日自由学習のネタを考えなくてもいいな、ウシシウシシとは思いましたが、それって、怠けているわけでも、悪い事でもないですよね。

よしんばそれが怠け心を本に考えた事だとしても、それがとてもよい結果を生むであろうという事を考えれば、あえてそれを認めて褒めてやるという寛大な心は持てないものなのか?というか、そこに考えを及ばせることができなかったのか?

 

たとえ誰にも褒められなかったとしても、せめてそのまま何も言われなければ、恐らく私は最後のページまで毎日辞書を書き写し続け、すごい語彙力を身に付けたかもしれないのに、と思うと、それは浅はかな大人達が子供の可能性を1つ潰してしまったという悲しい出来事なんだろうと私は思うのです。

 

担任の先生が母に恐らくわざわざ電話をしてきたのは、もしかすると素晴らしい事だと言いたかったのかもしれませんし、やはり母と同じ気持ちからかもしれません。

それはもうその先生にしかわかりませんが、もともと私に対してネガティブな感情を持っている私の母は、先生の言葉を私が怠け心で良くない事をした事への「イヤミ」と捉え、そのまま私に良くない感情を持って伝えました。

 

そう考えると、色々な「窓口」になってしまう親の果たす役割はとても重要で責任が重いなと思います。

親の考えや言葉ひとつで子供の可能性や将来を潰してしまう事もあるし、逆にその子の可能性を伸ばしてあげる事ができるかもしれません。

 

私はもうおばさんで、そんな昔の事はどうしようもないですし、もちろんその文句を今更母に言おうとも思いません。(思い出すと腹は立ちますが。(^-^; )

 

しかし、私は、息子には浅い考えで軽率な事を言ったり、したりしてしまわない様、色々な事を深くよく考えていかなければいけないんだなという事を、そして何より、子供時代の親の存在はとても大きく、親が考えているより遥かに大きな影響力を子供に及ぼしてしまう可能性が高いという事を決して忘れないよう気を付けていこうと思っています。

 

 

それから、最近とうとう(?)、息子が辞書を「読み物」として認識しはじめました。

私の苦い思い出とは裏腹に、とても良い事だなぁと、とても嬉しく思っています。ニコニコ合格