28:2013/03/10(日) 23:09:59.82 ID:
心。それは脳(思考)とは全くの別物であり、人体にある7つのチャクラとは、いわば凡ゆる知覚を成せる感覚器官の中継所と思えばいいはず
実際に物理的な意味でのチャクラや、オカルト的な意味でのチャクラというものが「ある」だなんて思う必要はない

例えば、一番下の肛門と睾丸の間のチャクラ、女ならばまんこの穴の位置にあるチャクラは、性的な意味での体感、知覚をなす上ではもろその特異な体幹の中枢として分かりやすい
そこを刺激すれば気分もガラリと変わる。へその下の丹田のチャクラでも、肝が据わるという表現にぴったりな心強さに対応する、気を溜めれば針の太い気分にガラリと変わる
この「氣」というのもまた、知覚によって得られる強い感情の変化を及ぼすエネルギー(実際には物理的には無いもの)と捉えて間違いないはずだ

大昔のクンダリニ発案者が、この気持ちの変化、体幹の中枢を見つけて、これを意識の持ちようで練り上げることができると見つけた訳だね
クンダリニで大成した訳じゃないから心底詳しい訳じゃないけどね

29:2013/03/14(木) 08:50:06.31 ID:
仏説摩訶般若波羅蜜多心経

悟った人とは当たり前の確信を得たものをいい、悟った人はこの物質世界を体感できるのは五感しかないと知る

大凡の人生観とは、すべては認識に囚われた分別判断であり、物は物でしかなく、それ以上の物でもそれ以下の物でもない

五感で受け取った情報、そこから始める分別判断、それに対する凡ゆる想い、対処対応するための行い、その一連の流れの認識もまた、囚われる必要もない空っぽなものである

善いものも悪いものもなく、何人助けようが何人殺そうが、それらもまた善でも悪でもなく、囚われる必要もない空っぽなものである

悟った人は仏の教えを説く。仏とは自身の心の解放であり、それは五感のみの解放のことを言う。つまりは思考による無駄な分別意識を辞めることである

それが成されたとき、自身の思考の分別意識によって囚われていた苦悩のすべてが消え失せる。この仏の教えにより人は苦悩より解き放たれる

(付けたし)末法の世は来る。この教えを有益な形へと偏らせようとするものにより教えが徐々に徐々に捻じ曲げられる時はくる。その恐れにより、ある者を苦悩のうちに閉じ込めようとするものが苦悩より解き放つ法を捻じ曲げる末法の世は来る
(現代までの生まれ変わりを説くオカルト仏教の広まりや、保守的な人間の道徳マインドの流布的な仏教の広まり)

古代インドのサンスクリット語より伝わるこの教えを日本語の平仮名読みした真言は次の通りである

ぎゃーてー、ぎゃーてー、はらぎゃーてー、はらそーぎゃーてー、ぼーじー、そわかー

ここに究極の智慧の探究を終えた者が知りえた悟りという五感の解放、知覚の覚醒、真理の体得の説明を終える

般若波羅蜜多心経 (-人-)


146:2013/04/04(木) 12:25:21.55 ID:
悟りという解釈についての、質問です

それって、依存心のない視点での、物事の捉え方ですよね?

で、気になったのが、悟りで言う、【無の境地】って、心の解釈はどの様に考えられているのでしょうか?

レス、遅くてすみませんです・・・

147:2013/04/04(木) 12:27:36.50 ID:
   ,.-‐-、.
  {.・з・.} 悟りは解釈ではないね。それから哲学でもなく、むしろ哲学の対義語が悟りである。と俺は言う。前にそういうスレを哲学板に立てたけど、実際に悟りは哲学の対義語に位置してるよ
   `u-u"

148:2013/04/04(木) 12:30:45.81 ID:
あー、それなんかわかるわー
ひっくりかえるっていうか、底抜けするってか頭パーンってか、
地続きなようでいて理論と感性の真逆の世界ってか。
でも、感性だけど書物みると結構論理的だよね。無理あるなーと思うけどさ。

149:2013/04/04(木) 12:37:09.07 ID:
   ,.-‐-、.
  {.・з・.} はい、無の境地。これを知るにはまず己の精神を仕組みを理解してもらわないとね。(また同じ話しする)
   `u-u"

そもそも思考って、脳の電気信号だよね。でもみんなその電気信号の動きを自分の性格や人格だと思い込んじゃってる。俺は、僕は、私は、自分は、これこれこういう人間だとか思い込んじゃってる
その思考には実態などない。これを理解するために、むりむり頭の中で自分の思考の実態について考えてみてもいいよ。頭パンクすると思うから。俺がパンクした時も実際そうだったしね

そして頭がパンクしたあと、何も考えれなくなってた。後に残ったのは視覚聴覚嗅覚味覚触覚の五感だけ。でも今までとはガラリと感覚が違うわけ。より敏感に感度良く五感が働いていた
今までは自分の思考によって、それらの五感の伝達が鈍っていたことを実感できた

無の境地。それは悟りであり、五感の解放です

150:2013/04/04(木) 12:45:52.64 ID:
   ,.-‐-、.
  {.・з・.} ではなぜ、その、単なる五感の解放状態のことが、神だとか仏だとか言われるのか?について
   `u-u"

無の境地にいけば分かる。実感できる。思考とは、分別、分け隔て、分断意識であり、それらは苦悩の元である

我思う故に我あり、(これに付け足すと)、故に我苦しむ

苦悩が消え失せる。今まで頭の前にモヤモヤがかかっていた悩み(不安要素)が消え失せる。精神は静寂を取り戻す。知覚(五感)だけが残る
その残った知覚はロボットか?と思いきや、思いやり以上の統合がある。その何も考えてないありのままの状態こそ、絶妙なバランスで配合された統合である

この説明難しい?

151:2013/04/04(木) 12:46:23.37 ID:
真空⇒真空妙有
って話なのかな。 妙有 カワイイヨ 妙有

152:2013/04/04(木) 12:48:37.88 ID:
フムフム・・・なるほど。 では、質問続けますね

はい、自分も、【自分はこう言う性格だ】とか【これが正しい!】と決め付けずに物事を考えれる様に心がけています
でも迷った時は、単純に何となく、【好き嫌い】では解釈していますが・・・

言葉を用いての、自分の聞きたい事を伝えるのは、本当に難しいですね・・・

153:2013/04/04(木) 12:53:51.13 ID:
   ,.-‐-、.
  {.・з・.} 例えばね、善と悪について考えてみて?何が善で、何が悪か?それは見る角度によって善悪なんて変わるじゃん、その通り。もともと善悪なんていう分別は人の頭の中にあっただけ
   `u-u"

じゃあ、それ考えるの辞めようよ。赤ちゃん見てみ?ありのままで可愛い、その頭のなかには何の変哲もなく、自我も芽生えてない。しかしながら多くを与えられている
そう。与えられている。これ実は大人でも同じこと。すべてここにある。ぜんぶ揃ってる。幸福はもともと手元にある

これは哲学じゃない。解釈じゃない。むしろこんなレス読まずに、頭空っぽにしてる人の方が悟れてる。そういうこと

156:2013/04/04(木) 13:01:38.21 ID:
悟りとは、言葉のとうり、【小さな】【吾が】

自分の存在は、なんて小さいんだ・・・自分の考えなど、この世界では意味を成さない・・・的な解釈を用いて
この世界で、自分に起こる物事を解釈する事だと捕らえています

本当にレス遅くてすみません・・・基本自分はROM専なので・・・

157:2013/04/04(木) 13:03:11.94 ID:
   ,.-‐-、.
  {.・з・.} 清濁併せ呑む。清いも濁りもぜんぶ飲む、とは言っても好き嫌いはあるし、何も判断しないで生きてたらいつか交通事故で死ぬよね。これは薬も毒も飲めという意味じゃない
   `u-u"

分別、選別、判断するのは思考であって、脳であって、脳は生きる上での手や足と同じツールなわけ。ツールは本体じゃない

むしろ本体などない。しかし、それが幸福でした~って話しですよ。だって、苦の元を知れば、それを止めれば良いだけだからね