45:2012/12/06(木) 02:15:03.26 ID:
やはり釈迦と同じ境地になるね。パズルはパズルのままにしておこうと
どおしてもなるね。
宗教で金儲けなんて考えてるやつらが大勢いるから気を付けないとな。
資産100億でいつもはFXや株のスレにいるよ。
やはり宗教スレはバカしかいねぇな。期待はしてなかったけど。
でもあれだ金儲けるとき般若心経は結構役に立った。

49:2012/12/06(木) 05:04:36.68 ID:
どうも、仏ってのは自分の目的が全てで人の目的がそれに合致する場合のみ
力を貸すことがある、誰かが困ってても興味は無い
そういう存在にしか見えない

50:2012/12/06(木) 08:15:59.84 ID:
>>49 お釈迦様だって、他人に頼まれたら教える、
弟子にしてと言われたら弟子にする、という感じだしね。

ブッダは医師に例えられる。
患者が訪ねて来たら治療する。
また、患者が「治したい」と思ったときに初めて医療(仏教)の出番となる。

52:2012/12/06(木) 09:15:17.17 ID:
>>50 釈迦は悟りの後も、遊行し民衆の中に入って法を説いいている

求める者だけを救おうとしたのではない

53:2012/12/06(木) 12:24:07.87 ID:
>>52 求める者を探して遊行したのでしょうね。
しかし、街頭演説(辻説法)みたいな押せ押せの布教のイメージはありません。

60:2012/12/08(土) 18:19:18.65 ID:
>>55 ま、同一でしょ。
でも、 >マハーバーラタの時間軸と釈尊在世の時間軸を同一と捉えていた かどうかは
ハテナマークw

名称として(同種のものとして)採用されてるだけかもしれない。
つまり、相似した内容(≒質)を持つものを同じ記号で呼んでいる、と。

たとえば、「民兵」という言葉を考えてみたとき、
A時代のイ地域で起きた革命運動の際に見られた兵隊と、
B時代のロ地域で起きた対侵略戦争で見られた兵隊と、
同じではないし、同じものとして「民兵」という呼称(自称)が用いられるわけではない。
あくまでも、そこにあるのは、カテゴリ、記号としての「民兵」。
同じように、記号、呼び名、ラベル、通称等等としての「羅刹」ってことでしょ。

59:2012/12/08(土) 18:13:06.93 ID:
誰かと思ったら苫米地(劣)の方かよwww

話にならん。 知識を寄せ集めてモザイク上にしただけで、
「自身としての一貫性」すら怪しい。
ましてや「伝統解釈」「通仏教的解釈」には掠りもしてないでしょ。
かといって「新しい研究成果」への触れ方も、ムー読者のベクトルだし。
仏教以外(たとえば心理学的側面とか)では聡明なんだろうけど、
その聡明さが仇となって、仏教関係は「(整理のついてない)単なる知識の寄せ集め」でしかないと思うよ。  >>56

61:2012/12/08(土) 18:31:19.93 ID:
>>57>>58>>59 そうですね。面白いのでころっと言ってしまいそうですが、話半分に聞いておくことにします。

>>57
私が擁護するのもなんだかおかしいですが、一応

動画では、釈迦の説いた教えと実際の悟りの違い、上座部と大乗の縁起と空の概念の違いを言っていますので前半の批判は成り立たないと思います。

また、バラモンになろうとしたというのは、ダンマパダにあるような理想の修行者というか人物像の事を言っているのではないでしょうか。
それに反バラモン教的立場だからこそ、バラモンになろうとしたのではないですか。
バラモン教を信じる人であればあるほど、バラモンでない人がバラモンになろうなどと考えるはずが有りませんから。


あと最後に一つだけ。釈迦が生きている時代に弟子たちが毒殺されたなんて話は、実際残っているのでしょうか?

75:2012/12/08(土) 21:11:22.26 ID:
>>72 ちがうちがう。世間の習わしはそれぞれあるがままに認めるのが釈尊
それは幻のようなものだけど、

>>74 >これって、動画でもありましたが、ツォンカパやゲルグ派と言われている宗派のことですか?

違います。ゲルクは中観の特殊説です。
むしろ、ほとんどゲルクだけが特殊な中観です。
他は、インド、シナ、日本、チベットで細かい違いはあっても基本的に一致しています。

ですが、文献学でゲルク説が19世紀以来、権威ある情報源とされてきたので、
最近まで中観研究は倒錯してきました。
現在は、過渡期です。

76:2012/12/08(土) 21:20:04.87 ID:
>>75 >違います。ゲルクは中観の特殊説です。
ゲルクは、現在チベットで最大の宗派であり、ダライ・ラマや中国との問題などで
メティアへの露出も多いので思想的にも主流だと思ってんですけど違うんですか。

では、特殊でない中観(あなたの言う他)というと具体的になんですか?(何度もすいません)

78:2012/12/08(土) 22:03:25.12 ID:
>>76 >ゲルクは、現在チベットで最大の宗派であり、ダライ・ラマや中国との問題などで
>メティアへの露出も多いので思想的にも主流だと思ってんですけど違うんですか。

 そうです。最大宗派です。ですが、信者が多いことと、正統であることは関係ないでしょう。
 例えば、日本では日蓮系は多いですが、それが正統仏教ではないようにです。

>では、特殊でない中観(あなたの言う他)というと具体的になんですか?(何度もすいません)

 インドの中観、龍樹菩薩、提婆菩薩、月称菩薩、寂天菩薩など。
 チベット、サキャ、カギュ、ニンマなど。
 シナ・日本、三論、華厳などです。

 以上は、基本的に戯論寂滅を目指し、あらゆる見解を遮断するという意味で同じです。

79:2012/12/09(日) 01:03:27.43 ID:
>>75 世間の習わし何でもかんでもてわけじゃねーぞ
そこんとこ勘違いするなよ

80:2012/12/09(日) 06:48:58.48 ID:
>>79 それは言葉や世界認識のあり方をあるがまま認めるという意味ね

ウィトゲンシュタインの諸言語ゲームや、ソシュールの恣意的なラングみたいなもん。

それらはそれぞれのままに認める。

ただし、教えのなかで取捨選択を示すけど、本質的、勝義としては何も認めない。
これは否定するわけではなく、戯論寂滅しているから。

58:2012/12/08(土) 17:56:25.32 ID:
>56
最初だけ見たが、随分いい加減な事を言っている。

仏教とは縁起を説く教えであり、阿含から一貫した共通認識。
大乗は空を説くが、縁起も説く。
釈迦はバラモンになろうとはしてない。
むしろ反バラモン教的立場。

当時は既にバラモン教衰退期であり、バラモンになろうとしても殺されない。

天台の僧云々は資格だけ金で買ったのでしょう。

スッタニパタも真面目に読んでない素人ですね。

62:2012/12/08(土) 18:34:37.16 ID:
無意味な連投すいません。

後半の反論(笑)は、57さんでなくて>>58さんへです。失礼しました。

81:2012/12/09(日) 07:59:39.21 ID:
「世界の有り様をあるがままに受け容れる」ことを
「空」とかの方向から説明しようとすると矛盾が出る。
悪事であっても「すべて空だから」オッケー、みたいに。

怒りがない(=慈しみ)という面から説明すればスッキリする。
仏は悪を止めなさいと教えるが、相手が悪人でも慈しむのだ、と。

82:2012/12/09(日) 08:36:18.21 ID:
>>81 そりゃ理解が浅すぎる。

空性は間違いない。善悪というのは仮設の因果のなかで成立する。

世俗の中で、道を説く。教えだ。教えも仮設、空性に他ならないが、
因果という対象作用を持つ。

世俗の中で凡夫はこの対象作用の中で道を歩む。

空性というのは、凡夫に対してこの因果、対象作用を否定するわけではない。

単純な話、空性だからなんでもいいみたいなことをいうヤツは何も分かってない。
単なるスローガンの観念論か、多少禅定体験のある野狐禅かのどちらかでしょう。

83:2012/12/09(日) 14:19:45.37 ID:
一つだけ重要な点が見える。
お前は自分を凡夫と思っているか否かである。
不遜な仮設、空性は何もわかっていないことを示す。

279:2013/01/16(水) 15:32:41.27 ID:
>>278 まず、仏・法・僧の三宝に帰依します。
次にあらゆる生き物を悟りをもたらすために悟ろうと発心します。

次に悟るために六ハラミツを行じます。
布施、他者に持てるものを与えることです。
戒律、十善行などをなし十不善行をなさないことです。
 善とは他者に楽を与えること。不善は他者を傷つけることです。
忍辱、怒らないことです。
精進、法に専心することです。
禅定、意識を集中することです。
般若、無我・空を観じることです

それらを実践したら、あらゆる生き物が悟るまで普賢行を行う誓願を立てます。
最後に以上の功徳をあらゆる生き物に廻向します。

ざっと、こんなかんじです

292:2013/01/19(土) 15:27:21.48 ID:
テーラーワーダで、仏典には人生とは何もかも思うように行かない=苦
と言う記述がある一方、願ったことは何でも適うといういっけん矛盾したことを
釈迦が言っているがその意味は。とかいう法話があったと聞いたんですが、
別にテーラワーダ系の人でなくてもいいですから、これの意味を知っている方
教えてくれませんか?

296:2013/01/21(月) 03:53:42.93 ID:
>>293 浄土宗の教えは、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経を根拠にしています。
この中でいちばん短い「阿弥陀経」は、よくお勤めで読経に使われます。
他の2経からは、一部抜粋したものが読経に使われます。
あとは、阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩を讃えるメロディーつきの歌のような「三尊礼」も使います。

297:2013/01/21(月) 22:16:23.18 ID:
三経については調べたのですが時間的にあわないかなと
思っていたのが氷解しました。
一部抜粋されるんですね。
ありがとうございます。

298:2013/01/22(火) 03:48:50.85 ID:
>>297 あと、「じっかい」で思い浮かんだのですが、枕経で読まれる「広懺悔」というのがあります。
これは、唐の善導大師の作った「往生礼讚」からな抜粋で、さまざまな罪を懺悔する内容。
その中に、
「或破五戒、八戒、十戒、十善戒、二百五十戒、五百戒、菩薩三聚戒、十無盡戒,
乃至一切戒,及一切威儀戒等,自作教他,見作隨喜,不可知數。 」
という部分があります。

300:2013/01/23(水) 07:38:46.96 ID:
じっかいについての解説ありがとうございます!

332:2013/01/30(水) 01:07:16.41 ID:
>>329 成仏・悟りとは、煩悩がなくなることです。
煩悩のリストがあり、これは裏を返せば悟りのリストでもあります。
自分で煩悩のリストに照らしてみればチェックできます。

333:2013/01/30(水) 07:21:58.68 ID:
>>329 テーラワーダの目標であるアルハットだとビルマでまだ出てます
大乗の目標である一切智者・ブッダは、この世界では当分釈尊だけなので当分でません。
ですが、アルハットに相当する方ならチベット圏でまだたくさん出てます

330:2013/01/30(水) 00:45:11.24 ID:
仏教の目標は、全ての生き物が仏陀になって究極の幸せを得ることだから、誰も目標を達成したなどと言う人はいないでしょう。
私たちの生はその場限りのものではなく、始まりとてない過去から続いている(と考えられている)のに、ちょっとの修行で成仏なんてあり得ないとは思わないだろうか。
釈尊も私たちと同じ人間であったのですが、ある時点から発心を起こして智慧を身につけて悟りを得て成仏されたのだから、私たちも不可能ではないです。ただ今生ではないと思いますが。

331:2013/01/30(水) 00:49:39.47 ID:
人身受け難し、今、既に受く。
仏法聞き難し、今、既に聞く。
此の身、今生に向かって度せずんば、
更に何れの処に向かってか此の身を度せん。

334:2013/02/12(火) 13:25:20.85 ID:
ブッダ以前のインド思想なんですが、クシャトリヤがバラモンに伝えるという形式の
話が残っていることをもとに、ある思想がアーリア人由来でなくて
土着のインド人由来かもしれないと中村元が言っていたことがあると
思うのですが、何の思想でしたっけ。

ちょっと記憶があいまいで申し訳ないのですが、もしかしたら宮元啓一だったかもしれません。

335:2013/02/12(火) 19:38:09.10 ID:
原始仏教についての良い本を教えてください

336:2013/02/12(火) 20:30:43.80 ID:
>>335 水野弘元『原始仏教』

とにかくこれがいい、それで足りなければいかもいいよ

片山一良『パーリ仏教入門』
オルデンベルク『仏教』
K. R. Norman, Pali-Literature
Oskar von Hinüber, A Handbook of Pali Literature

338:2013/02/12(火) 21:06:01.40 ID:
 
仏法 [新装版]/ポー・オー・パユットー/サンガ 新装版 (2012/01)

タイ仏教界最高の学僧が明晰に語るブッダの真の教え
経典の引用に基づく的確な解説によって導かれる
仏教の体系的な理解
テーラワーダ仏教を学ぶための必携の教科書となる一冊

カスタマーレビュー
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4901679643/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending

343:2013/02/19(火) 08:09:25.19 ID:
前田専學というかたの「ブッダ」という新刊の本がうちの町の本屋さんであったのですが
この本を読まれたかたいらっしゃいますか?
買って内容を信じても大丈夫な本ですか?
変な質問ですみません。。

344:2013/02/19(火) 09:10:56.42 ID:
>>343 読んでませんが、前田先生は穏当篤実な学者なので、
文献学者の代表的な見方だと考えていいと思います。

ただ、それが仏教の本質を示しているとは限りませんが

345:2013/02/19(火) 11:30:59.59 ID:
>>343 恵学?専学?

恵だったら入門書として無難と思うよ。
あ、恵学さんのは題は「釈尊」か。

NHKこころの時代 ブッダを語る(上)(下). 前田專學/1刷/平成4発行
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B-NHK%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E5%89%8D%E7%94%B0-%E5%B0%82%E5%AD%A6/dp/4140840269
コレ↑かな?
新刊はないんじゃないかな・・。アマゾンでも引っかからないし。


>>344 前田さんは二人いるけど。

348:2013/02/20(水) 10:17:26.32 ID:
鈴木大拙の真宗入門ってどうですか?
某所で絶賛されていたので気になったのですが。

阿弥陀如来への信を、バクティに含むのは適切でしょうか?

349:2013/02/20(水) 10:33:38.59 ID:
>>348 >阿弥陀如来への信を、バクティに含むのは適切でしょうか?

だめですね。誤解だと思います。

あるいは方便としての譬喩か。

いずれにしても本来の説ではないと思います。

真宗なら七里恒順師か、山口益先生の本がいいんじゃないかと思います。

350:2013/02/20(水) 11:47:23.77 ID:
ありがとうございます。
阿弥陀如来への信をサンスクリット語であらわすとするなら
どんな語が選ばれますか?

『大乗としての浄土』を本屋で注文したら版元品切れでした。

367:2013/02/28(木) 15:32:30.19 ID:
>>365 ありのままの、みんなに共通の世界があります
智慧があると言われる方々は、みんなに共通の世界をそのまま、あるがまま、見ています
自我がある状態は、みんなに共通の世界を、色眼鏡を通して見ている状態です
「これはこうに決まっている」「あれはああに違いない」「こう来たらああなるに決まっている」等々、勘違いや思い込みという色眼鏡です
自我があると、みんなに共通の世界と自分だけの世界と、二重に暮らすことになります

ゆえに智慧は獲得するものではないと言えるでしょう
執着しない、捨てた分だけ智慧が現れてきます

368:2013/03/02(土) 05:53:25.21 ID:
反・仏教学: 仏教vs.倫理 (ちくま学芸文庫) 末木 文美士
最近発売された上の本をお読みになった人はいませんか?
日本仏教史は、とても参考になったので、気になっています。
感想や批判などありましたらお願いします。

369:2013/03/02(土) 15:22:33.71 ID:
お釈迦様は本来は人間を超越した存在ではなく、自分も含めて人は人以上でも人以下でもないただの人なんだよと
説いた今でいう哲学者のような人だと思うのですが。
だから今の仏教はお釈迦様の教えとは全くかけ離れた存在ではないかと思いますがどんなもんでしょう?
ただ人の心のよりどころとする真面目な宗教家を全否定するつもりはありませんが、葬式とか法事とかしか縁のない
お坊さんには納得できないものはあります。

370:2013/03/02(土) 15:47:49.93 ID:
>>369 >お釈迦様は本来は人間を超越した存在ではなく、自分も含めて人は人以上でも人以下でもないただの人なんだよと
>説いた今でいう哲学者のような人だと思うのですが。

和辻以降、そういう解釈をする人が少しいますが、全く違うと思います。
釈尊自身がブッダは人でも神でもないとアーガマ・ニカーヤで説かれてます。

585:2013/06/10(月) 17:14:49.17 ID:
>>581 キリスト教では自殺は地獄行きの重罪だが
仏教ではべつだん禁止してるわけじゃないよ

仏教が発明された当時のインドでは
死んだら輪廻転生して次の人生が続くって考えが
現代人にとって地球が丸いっていう感覚と同じくらいの
常識として信じられていた

当時の水準としてはかなり革新的だった釈迦といえども
そのレベルの常識を覆すほどには至らなかったので
現代と比べれば死の重みは相対的に軽く扱われていた

588:2013/06/10(月) 20:56:31.94 ID:
>>587 そういう質問をしてきた弟子に対してブッダ本人は
「人生にはそんな検証不可能なことで悩んでる暇は無いから」
的なはぐらかし方で頑として答えなかったとされているけど

後世の弟子たちは世界の構造を精緻に体系化することに熱心だったので
当然のように霊魂を含めたあらゆることを考察の対象にしていた

基本路線としてはブッダ本人が霊魂に対して積極的に肯定しなかったという理由から
「霊魂という実体は無い」とする立場がメインストリームだが
「霊魂が無いにしても、輪廻転生する何らかの実体があるはずで、それが霊魂ではないのならいったい何なんだ?」
という命題が発生して、この問題をクリアするために色々なトンチが発明されて、
学派や宗派によってその解釈の違いもまちまちというのが実情。

中には霊魂と呼ばずにプドガラと名前を呼び変えるだけでクリアできたことにしてしまった
強引な学派すらあったのだから苦しいところだ。