8: :2013/03/07(木) 18:06:05.64 ID:
論がなければ証拠の嵌め位置がわからない。
合わない証拠を無理に嵌めれば論は崩れる。
合わない証拠を無理に嵌めれば論は崩れる。
27: :2013/03/11(月) 07:08:09.31 ID:
>>14 お久です~。
>>15 > amaさんは悟りはまだ続いてる?
いえ、悟りは消え去ります。
> 俺は悟りはどうでもよくなっちゃったよ
健康な証拠ですよね。
>>15 > amaさんは悟りはまだ続いてる?
いえ、悟りは消え去ります。
> 俺は悟りはどうでもよくなっちゃったよ
健康な証拠ですよね。
61: :2013/03/12(火) 07:16:18.15 ID:
>>29 > 気づきは消えねぇだろamaちゃんよWWWWW
たしかに一度気づいてしまうと後戻りは出来ませんね。
ただ、気づきを持ち続けなくてもいいんですよね。
持ち続けないほうが健康でいられたりしません?
> お前の言葉は思考のフィルターを通して迷いを作り出している悟りオタに新しいエサ与えることになるぜWWWWW
そうでしたか。。。
たしかに一度気づいてしまうと後戻りは出来ませんね。
ただ、気づきを持ち続けなくてもいいんですよね。
持ち続けないほうが健康でいられたりしません?
> お前の言葉は思考のフィルターを通して迷いを作り出している悟りオタに新しいエサ与えることになるぜWWWWW
そうでしたか。。。
88: :2013/03/13(水) 00:39:23.48 ID:
>>75 聞きいんだけど・・・・
「何の境地も持たない」
「坐るたびに別の人」
「体験を後から景色として持たない」
「悟りを卒業する」
本当にこれでいいんだな?
「何の境地も持たない」
「坐るたびに別の人」
「体験を後から景色として持たない」
「悟りを卒業する」
本当にこれでいいんだな?
89: :2013/03/13(水) 00:47:19.75 ID:
>>88 いいけど、安堂自身の問題だよ。。
自分で明らめれば、いんじゃないの?
自分で明らめれば、いんじゃないの?
91: :2013/03/13(水) 01:05:33.79 ID:
>>89 うん
>>90 収まらないで死んだ場合、何か問題が生ずるのでしょうか?
>>90 収まらないで死んだ場合、何か問題が生ずるのでしょうか?
92: :2013/03/13(水) 01:15:13.51 ID:
>>91 死んだ場合じゃなくて、生きてる間の問題じゃないの。。
93: :2013/03/13(水) 01:23:43.36 ID:
>>92 生きてる間はどうせ嘘とまやかしと演技しかないじゃん・・・。
そうではなくて、人間に生まれたことが悟りを開くにはいいらしいとかいうそうだ・・・。
そうではなくて、人間に生まれたことが悟りを開くにはいいらしいとかいうそうだ・・・。
101: :2013/03/13(水) 07:27:00.09 ID:
>>75 > 悟ったとか迷っていたとか無ければ、迷悟もなくなるだろう。。
>
> amaさんの悟りがなくなるとは、こんな感じですか?
はい、悟りも迷いもない、つまり、悟りは無い、のですね。
とはいえ、悟りを追い求めるな、と言うことではなく、
まずは悟りを追い求め、そして実際に悟ることで、
それがとんでもなく当たり前のことだと分かったりする。
病んでいるから悟る必要があるわけで、
健康な人は、そのままでいいわけです。
もっというと、病んでいてもそのままでいいのですが、
当人がこのままではダメだと思い込んでいるのでやっぱり悟るしかない。
悟ってやっと普通の人なんですね。
普通の人になれたなら、普通に生きるだけです。
普通の生活に悟りは要らない。。。
とまあそんな感じです。
>
> amaさんの悟りがなくなるとは、こんな感じですか?
はい、悟りも迷いもない、つまり、悟りは無い、のですね。
とはいえ、悟りを追い求めるな、と言うことではなく、
まずは悟りを追い求め、そして実際に悟ることで、
それがとんでもなく当たり前のことだと分かったりする。
病んでいるから悟る必要があるわけで、
健康な人は、そのままでいいわけです。
もっというと、病んでいてもそのままでいいのですが、
当人がこのままではダメだと思い込んでいるのでやっぱり悟るしかない。
悟ってやっと普通の人なんですね。
普通の人になれたなら、普通に生きるだけです。
普通の生活に悟りは要らない。。。
とまあそんな感じです。
102: :2013/03/13(水) 08:12:29.05 ID:
>>101 >普通の人になれたなら、普通に生きるだけです。
>普通の生活に悟りは要らない。。。
ただ生きる、喜びも悲しみも迷いも探求も受け入れて、見えるものから目を逸らさず結論を急がず
・・・それが普通ならそうだなWWWWW
>普通の生活に悟りは要らない。。。
ただ生きる、喜びも悲しみも迷いも探求も受け入れて、見えるものから目を逸らさず結論を急がず
・・・それが普通ならそうだなWWWWW
110: :2013/03/13(水) 09:59:55.77 ID:
>>101 ありがとう。わかります。。
でも、敢えてもう少し質問させてください。。
健康と病気の違いはなんでしょう?
あるいは、普通と普通じゃない状態の違いはなんなのでしょうか?
健康が病気じゃない状態とすると、「病気の状態」とは、どのような状態でしょうか?
でも、敢えてもう少し質問させてください。。
健康と病気の違いはなんでしょう?
あるいは、普通と普通じゃない状態の違いはなんなのでしょうか?
健康が病気じゃない状態とすると、「病気の状態」とは、どのような状態でしょうか?
121: :2013/03/14(木) 07:33:01.56 ID:
>>110 狭い意味では、悟りを求める人や悟りを持ち続ける人は、
病んでいて普通ではないと思います。
闇を抱えていたりしますよね。
でも、広い意味では、それすら健康で普通です。
人が、罪悪感や優越感を持ち続けることは、当たり前のことだと思います。
つまり、絶対的な基準があるわけではなく、
何をあるがままとするか、によると思います。
「あるがままの範囲」とでも言いましょうか。。。
人は知らず知らずのうちに、
ここまでがあるがままだ、とどこかで線引きしているので、
そこまでが、その人にとってのあるがままになっているわけですが、
線引きしないなら、ぜんぶあるがままですね。
線引きしするも良し、しないも良し。
これまた、あるがまま。
病んでいて普通ではないと思います。
闇を抱えていたりしますよね。
でも、広い意味では、それすら健康で普通です。
人が、罪悪感や優越感を持ち続けることは、当たり前のことだと思います。
つまり、絶対的な基準があるわけではなく、
何をあるがままとするか、によると思います。
「あるがままの範囲」とでも言いましょうか。。。
人は知らず知らずのうちに、
ここまでがあるがままだ、とどこかで線引きしているので、
そこまでが、その人にとってのあるがままになっているわけですが、
線引きしないなら、ぜんぶあるがままですね。
線引きしするも良し、しないも良し。
これまた、あるがまま。
129: :2013/03/14(木) 10:01:16.01 ID:
>>121 >つまり、絶対的な基準があるわけではなく、
何をあるがままとするか、によると思います。
>「あるがままの範囲」とでも言いましょうか。。。
>線引きしするも良し、しないも良し。
これまた、あるがまま。
スレタイ的には至福の境地を生きるあるがままをイメージして皆さん…いや…まあ良いとしようWWW
何をあるがままとするか、によると思います。
>「あるがままの範囲」とでも言いましょうか。。。
>線引きしするも良し、しないも良し。
これまた、あるがまま。
スレタイ的には至福の境地を生きるあるがままをイメージして皆さん…いや…まあ良いとしようWWW
123: :2013/03/14(木) 08:52:08.77 ID:
>>110 >健康と病気の違いはなんでしょう?
正常なのが健康で異常なのが病気だろ。
>あるいは、普通と普通じゃない状態の違いはなんなのでしょうか?
amaが言う普通ってのは素の自分って意味じゃねぇのか?
これはすることや考えること以前の在り方みたいなもんじゃね?
動機や願望や判断を見ている自分がドカッと腰を降ろしてる在り方を普通とか呼んでんじゃね?
正常なのが健康で異常なのが病気だろ。
>あるいは、普通と普通じゃない状態の違いはなんなのでしょうか?
amaが言う普通ってのは素の自分って意味じゃねぇのか?
これはすることや考えること以前の在り方みたいなもんじゃね?
動機や願望や判断を見ている自分がドカッと腰を降ろしてる在り方を普通とか呼んでんじゃね?
125: :2013/03/14(木) 09:11:36.66 ID:
>>101 >病んでいるから悟る必要があるわけで、
>健康な人は、そのままでいいわけです。
>悟ってやっと普通の人なんですね。
>>121 >狭い意味では、悟りを求める人や悟りを持ち続ける人は、病んでいて普通ではないと思います。
>闇を抱えていたりしますよね。
WWWなにげにamaたんソフトな口調でバッサバッサ切りまくってねWWWWW
お前ら病人認定WWWWWWWWWW
>健康な人は、そのままでいいわけです。
>悟ってやっと普通の人なんですね。
>>121 >狭い意味では、悟りを求める人や悟りを持ち続ける人は、病んでいて普通ではないと思います。
>闇を抱えていたりしますよね。
WWWなにげにamaたんソフトな口調でバッサバッサ切りまくってねWWWWW
お前ら病人認定WWWWWWWWWW
128: :2013/03/14(木) 09:53:34.80 ID:
>>125 そのamaさんの書き込み見ててamaさんも変わったなって思ったよ
人は変わっていくんだね
人は変わっていくんだね
127: :2013/03/14(木) 09:45:40.32 ID:
>>121 うーん、わかりますけど、はっきりしないところもありますね。。
>>101だと、悟ってやっと普通の人になる、と言っています。。
とすると、悟っていない人は、何かしら多少の問題があって、多少の病気があると言えるのではないでしょうか?
普通とか一般と言うと、平均値を言っているようで、定義が曖昧模糊としてしまいます。
あるがままというものの最大は、存在すべてで、そこには病気も健康もない。。
しかし、そのあるがままを生きれるか否かとすれば、健康と病気が分かれますね。。
自己と言うものを強く抱えることによる、是非善悪、優劣の思い込み、などを迷いとすれば、
そこから抜け出そうとすることだけが、健康へ至る道なのではとも思われます。。
もちろん最終的に、迷悟を忘れ去れば、それすらない、ただ在るがままのみかもしれませんが、
悟りを求めるということを病と言ってしまうと、結局自己中心の囚われを健康と言っているようで、
違和感があります。。
悟りを求めるとは本来、自己中心性や、自他の認識の誤り、人間にとって不可避な病を自覚するという、
いたって健全で、まっとうな感覚に根差しているのではないでしょうか?
>>101だと、悟ってやっと普通の人になる、と言っています。。
とすると、悟っていない人は、何かしら多少の問題があって、多少の病気があると言えるのではないでしょうか?
普通とか一般と言うと、平均値を言っているようで、定義が曖昧模糊としてしまいます。
あるがままというものの最大は、存在すべてで、そこには病気も健康もない。。
しかし、そのあるがままを生きれるか否かとすれば、健康と病気が分かれますね。。
自己と言うものを強く抱えることによる、是非善悪、優劣の思い込み、などを迷いとすれば、
そこから抜け出そうとすることだけが、健康へ至る道なのではとも思われます。。
もちろん最終的に、迷悟を忘れ去れば、それすらない、ただ在るがままのみかもしれませんが、
悟りを求めるということを病と言ってしまうと、結局自己中心の囚われを健康と言っているようで、
違和感があります。。
悟りを求めるとは本来、自己中心性や、自他の認識の誤り、人間にとって不可避な病を自覚するという、
いたって健全で、まっとうな感覚に根差しているのではないでしょうか?
145: :2013/03/15(金) 07:18:37.07 ID:
>>127 > あるがままというものの最大は、存在すべてで、そこには病気も健康もない。。
これがすべてだと思います。
でも、と言うべきか、だから、と言うべきか、
病気も健康もあるのでしょう。
>
> 自己と言うものを強く抱えることによる、是非善悪、優劣の思い込み、などを迷いとすれば、
> そこから抜け出そうとすることだけが、健康へ至る道なのではとも思われます。。
まったく同感です。
>
> もちろん最終的に、迷悟を忘れ去れば、それすらない、ただ在るがままのみかもしれませんが、
> 悟りを求めるということを病と言ってしまうと、結局自己中心の囚われを健康と言っているようで、
> 違和感があります。。
なるほど。
病んでいる、は言い過ぎでした。
>
> 悟りを求めるとは本来、自己中心性や、自他の認識の誤り、人間にとって不可避な病を自覚するという、
> いたって健全で、まっとうな感覚に根差しているのではないでしょうか?
ここでおっしゃっている、自己中心や自他の認識の誤りは、具体的にはどのようなことでしょうか?
これがすべてだと思います。
でも、と言うべきか、だから、と言うべきか、
病気も健康もあるのでしょう。
>
> 自己と言うものを強く抱えることによる、是非善悪、優劣の思い込み、などを迷いとすれば、
> そこから抜け出そうとすることだけが、健康へ至る道なのではとも思われます。。
まったく同感です。
>
> もちろん最終的に、迷悟を忘れ去れば、それすらない、ただ在るがままのみかもしれませんが、
> 悟りを求めるということを病と言ってしまうと、結局自己中心の囚われを健康と言っているようで、
> 違和感があります。。
なるほど。
病んでいる、は言い過ぎでした。
>
> 悟りを求めるとは本来、自己中心性や、自他の認識の誤り、人間にとって不可避な病を自覚するという、
> いたって健全で、まっとうな感覚に根差しているのではないでしょうか?
ここでおっしゃっている、自己中心や自他の認識の誤りは、具体的にはどのようなことでしょうか?
148: :2013/03/15(金) 09:32:44.65 ID:
>>145 >ここでおっしゃっている、自己中心や自他の認識の誤りは、具体的にはどのようなことでしょうか?
自身の囚われや思い込みに気づかなければ、自他を歪めて見てしまいます。。
また、「~はこうだ」と言う認識に、実は客観的なものはありません。
すべてそうした認識を、当てはめて、投影して、あたかも客観的に存在するかのように思い込んでいるわけですから、
認識してしまうこと自体の中に誤りがあるのかもしれません。。
「これはコップだ」と思っても、人間の中にコップと言う概念があるから、コップなのであって、
人間以外から見たらコップではないので、客観的にコップがあるとは言えないでしょう。
人間がコップと名付けた何かがあるというだけ、というのが実相であるかもしれません。。
もちろん、人間同士の世界では、概念や観念を使うことで成り立っていますから、
それでいいのですが、観念や思い込みに逆に使われてしまうと、それによって世界を歪めて観てしまう、
その歪んだ認識によって、縛られてしまう、不自由になってしまう、ということではないでしょうか。。
思い込みや囚われに気づかなければ、あたかもそれが客観的な実在であるかのように誤解して、
その世界に閉じ込められてしまうということです。
自身の囚われや思い込みに気づかなければ、自他を歪めて見てしまいます。。
また、「~はこうだ」と言う認識に、実は客観的なものはありません。
すべてそうした認識を、当てはめて、投影して、あたかも客観的に存在するかのように思い込んでいるわけですから、
認識してしまうこと自体の中に誤りがあるのかもしれません。。
「これはコップだ」と思っても、人間の中にコップと言う概念があるから、コップなのであって、
人間以外から見たらコップではないので、客観的にコップがあるとは言えないでしょう。
人間がコップと名付けた何かがあるというだけ、というのが実相であるかもしれません。。
もちろん、人間同士の世界では、概念や観念を使うことで成り立っていますから、
それでいいのですが、観念や思い込みに逆に使われてしまうと、それによって世界を歪めて観てしまう、
その歪んだ認識によって、縛られてしまう、不自由になってしまう、ということではないでしょうか。。
思い込みや囚われに気づかなければ、あたかもそれが客観的な実在であるかのように誤解して、
その世界に閉じ込められてしまうということです。
144: :2013/03/15(金) 07:17:22.02 ID:
>>127 > >>101だと、悟ってやっと普通の人になる、と言っています。。
>
> とすると、悟っていない人は、何かしら多少の問題があって、多少の病気があると言えるのではないでしょうか?
ここでおっしゃっている多少の問題とは、具体的にはどのようなものでしょう?
>
> 普通とか一般と言うと、平均値を言っているようで、定義が曖昧模糊としてしまいます。
おっしゃるとおり、普通と言う言葉は、漠然としていますね。
>
> あるがままというものの最大は、存在すべてで、そこには病気も健康もない。。
同感です。
>
> しかし、そのあるがままを生きれるか否かとすれば、健康と病気が分かれますね。。
あるがままを生きる、と意識した時点で、おかしなことになっているのではないでしょうか?
誤解を恐れずに申し上げると、あるがままを生きることなど出来ない。。。しなくていい。。。
あるがままというものがあるわけではなく、
「自分はこれでいいのだろうか」があって、それに対する「あるがままでいい」があるわけで、
「自分はこれでいいのだろうか」がなければ、「あるがままでいい」もないわけです。
>
> とすると、悟っていない人は、何かしら多少の問題があって、多少の病気があると言えるのではないでしょうか?
ここでおっしゃっている多少の問題とは、具体的にはどのようなものでしょう?
>
> 普通とか一般と言うと、平均値を言っているようで、定義が曖昧模糊としてしまいます。
おっしゃるとおり、普通と言う言葉は、漠然としていますね。
>
> あるがままというものの最大は、存在すべてで、そこには病気も健康もない。。
同感です。
>
> しかし、そのあるがままを生きれるか否かとすれば、健康と病気が分かれますね。。
あるがままを生きる、と意識した時点で、おかしなことになっているのではないでしょうか?
誤解を恐れずに申し上げると、あるがままを生きることなど出来ない。。。しなくていい。。。
あるがままというものがあるわけではなく、
「自分はこれでいいのだろうか」があって、それに対する「あるがままでいい」があるわけで、
「自分はこれでいいのだろうか」がなければ、「あるがままでいい」もないわけです。
147: :2013/03/15(金) 09:07:14.17 ID:
>>144 >ここでおっしゃっている多少の問題とは、具体的にはどのようなものでしょう?
簡単に言えば、思い込みや囚われによって歪めて認識するということでしょうか。。
>あるがままを生きる、と意識した時点で、おかしなことになっているのではないでしょうか?
誤解を恐れずに申し上げると、あるがままを生きることなど出来ない。。。しなくていい。。。
あるがままというものがあるわけではなく、
「自分はこれでいいのだろうか」があって、それに対する「あるがままでいい」があるわけで、
「自分はこれでいいのだろうか」がなければ、「あるがままでいい」もないわけです。
そのとおりです。。
自分を見ないなら、ないなら、いいわるい思うことすらできないですね。。
当然あるがままもない。。
簡単に言えば、思い込みや囚われによって歪めて認識するということでしょうか。。
>あるがままを生きる、と意識した時点で、おかしなことになっているのではないでしょうか?
誤解を恐れずに申し上げると、あるがままを生きることなど出来ない。。。しなくていい。。。
あるがままというものがあるわけではなく、
「自分はこれでいいのだろうか」があって、それに対する「あるがままでいい」があるわけで、
「自分はこれでいいのだろうか」がなければ、「あるがままでいい」もないわけです。
そのとおりです。。
自分を見ないなら、ないなら、いいわるい思うことすらできないですね。。
当然あるがままもない。。
156: :2013/03/16(土) 15:10:36.18 ID:
>>147 > 簡単に言えば、思い込みや囚われによって歪めて認識するということでしょうか。。
具体的な例を挙げることはできるでしょうか?
>>148 > また、「~はこうだ」と言う認識に、実は客観的なものはありません。
私たちは、客観という名の主観しか持ち合わせていないということですね。
客観は頭の中だけにある虚構なのかもしれません。
すると私たちは、事実を知ったり、事実について語ったりすることは、
できないということになるでしょうか?
具体的な例を挙げることはできるでしょうか?
>>148 > また、「~はこうだ」と言う認識に、実は客観的なものはありません。
私たちは、客観という名の主観しか持ち合わせていないということですね。
客観は頭の中だけにある虚構なのかもしれません。
すると私たちは、事実を知ったり、事実について語ったりすることは、
できないということになるでしょうか?
157: :2013/03/16(土) 19:38:52.39 ID:
>>156 >具体的な例を挙げることはできるでしょうか?
何でもこうあるべきとだと思いこめば、そうでないものは、よくない、あってはならないこと、ものになってしまいますし、
こうだと思い込めば、それ以外は間違いになってしまう。。
例えば、子供は親を尊敬しなければならないと思っている親は、そうでない子供を許せないかもしれません。
また、おれは偉いとか尊敬されるべきだと思っているなら、尊敬しないやつはけしからん、となります。
おれは偉いじゃなくても、うちの教祖様は素晴らしいでも同じですがね。。w
>すると私たちは、事実を知ったり、事実について語ったりすることは、
できないということになるでしょうか?
基本的には、価値判断のない事実なら、知ったり語ったりできると思います。
たとえば、「Aさんは昨日Bさんと買い物をした」というのは、事実として知ることができるでしょう。
しかし、こうした事実は、人間同士の約束事、概念を使っていますから、人間以外の生き物には伝えることができないかもしれません。。
だから、事実と言うのは、あくまでも人間(あるいは人間の概念を解する知的存在)の世界の中でしか、語ったり、伝えたりできないものかもしれません。。
こうした人間の世界での事実は、難しい言葉で言うと、客観ではなく、共同主観と言うのですね。
一般に言われる、客観的事実と言うのは、共同主観的事実と言ったほうが正確でしょう。。
何でもこうあるべきとだと思いこめば、そうでないものは、よくない、あってはならないこと、ものになってしまいますし、
こうだと思い込めば、それ以外は間違いになってしまう。。
例えば、子供は親を尊敬しなければならないと思っている親は、そうでない子供を許せないかもしれません。
また、おれは偉いとか尊敬されるべきだと思っているなら、尊敬しないやつはけしからん、となります。
おれは偉いじゃなくても、うちの教祖様は素晴らしいでも同じですがね。。w
>すると私たちは、事実を知ったり、事実について語ったりすることは、
できないということになるでしょうか?
基本的には、価値判断のない事実なら、知ったり語ったりできると思います。
たとえば、「Aさんは昨日Bさんと買い物をした」というのは、事実として知ることができるでしょう。
しかし、こうした事実は、人間同士の約束事、概念を使っていますから、人間以外の生き物には伝えることができないかもしれません。。
だから、事実と言うのは、あくまでも人間(あるいは人間の概念を解する知的存在)の世界の中でしか、語ったり、伝えたりできないものかもしれません。。
こうした人間の世界での事実は、難しい言葉で言うと、客観ではなく、共同主観と言うのですね。
一般に言われる、客観的事実と言うのは、共同主観的事実と言ったほうが正確でしょう。。
467: :2013/06/02(日) 01:05:29.78 ID:
>>101 悟りってセルフロボトミーみたいなイメージがあったけど、
amaさんのレス読んでやっぱりちょっと腑に落ちた。
私みたいな我の強い人間が普通に生きたいと思ったら、
我をさっぱり殺してやっと普通レベルなのかと。
amaさんのレス読んでやっぱりちょっと腑に落ちた。
私みたいな我の強い人間が普通に生きたいと思ったら、
我をさっぱり殺してやっと普通レベルなのかと。
90: :2013/03/13(水) 00:50:12.54 ID:
ひとりひとり問題が違うから、その問題を明らめて解く。。
それで収まればいんじゃないの。。
それで収まればいんじゃないの。。
103: :2013/03/13(水) 08:27:30.15 ID:
怒っているときは怒っているで良いなら生は甘美だ。
わかりたいならわかりたいで良いなら生は甘美だ。
理屈をつけたいなら理屈をつけたいで良いなら生は甘美だ。
複雑なら複雑で良いなら生は甘美だ。
良くないなら良くないで良いなら生は甘美だ。
それなら悟ってるな。
わかりたいならわかりたいで良いなら生は甘美だ。
理屈をつけたいなら理屈をつけたいで良いなら生は甘美だ。
複雑なら複雑で良いなら生は甘美だ。
良くないなら良くないで良いなら生は甘美だ。
それなら悟ってるな。
104: :2013/03/13(水) 08:38:48.94 ID:
今この瞬間を受け入れるなら生は甘美だ。
例えばそれが今この瞬間を受け入れたくない自分であっても。
でも人は目を逸らしようが無いほどハッキリとしている現実から目を逸らすな。
それが不安を生み誰かのフリをして更にそこから目を逸らしていることから目を逸らす。
例えばそれが今この瞬間を受け入れたくない自分であっても。
でも人は目を逸らしようが無いほどハッキリとしている現実から目を逸らすな。
それが不安を生み誰かのフリをして更にそこから目を逸らしていることから目を逸らす。
105: :2013/03/13(水) 08:55:38.78 ID:
そうやって人は日々幻想を作り上げ続ける。
目を逸らし続けた結果目を逸らしていることを忘れてしまう。
これが「幻想」だ。
この幻想は「迷いも悟りも無い、つまり悟りは無い」
なんて言葉じゃ落ちないな。
だから瞑想はしたほうが良いだろうね。
さもなきゃ迷走だWWWWW
目を逸らし続けた結果目を逸らしていることを忘れてしまう。
これが「幻想」だ。
この幻想は「迷いも悟りも無い、つまり悟りは無い」
なんて言葉じゃ落ちないな。
だから瞑想はしたほうが良いだろうね。
さもなきゃ迷走だWWWWW
106: :2013/03/13(水) 09:16:08.10 ID:
だが瞑想に入る前に考えたいことはとことん考えたほうが良い。
ノートに書き出すのは思考を整理する助けになる。
これは思考を明確化する助けになる。
やってみればだいたい同じ思考パターンを繰り返していることに気づくだろう。
ノートに書き出すのは思考を整理する助けになる。
これは思考を明確化する助けになる。
やってみればだいたい同じ思考パターンを繰り返していることに気づくだろう。
107: :2013/03/13(水) 09:30:10.72 ID:
更に思い切り身体を動かすと良い。
全力で走ったり、筋トレしたり、サンドバックを力の限り殴り続けたり、
鼻歌を歌いながらサイクリングや散歩を楽しむのも良い、リラックスして河原で水切りをして楽しく遊んだり川の流れをただ眺めるのも良い。
全力で走ったり、筋トレしたり、サンドバックを力の限り殴り続けたり、
鼻歌を歌いながらサイクリングや散歩を楽しむのも良い、リラックスして河原で水切りをして楽しく遊んだり川の流れをただ眺めるのも良い。
108: :2013/03/13(水) 09:39:58.66 ID:
感じるままに身体を動かすと良い、ほふく前進したりウルトラマンになって怪獣と戦ったり童心に返り遊べば良い。
周りに人がいないなら大声を出したり、歌を歌ったり、意味の無い声を出し続けたり、作曲したり
これはシャワーを浴びながらやっても良い。
周りに人がいないなら大声を出したり、歌を歌ったり、意味の無い声を出し続けたり、作曲したり
これはシャワーを浴びながらやっても良い。
117: :2013/03/13(水) 11:21:07.91 ID:
だが人は幻想から目を逸らし、幻想から目を逸らしたことから目を逸らし幻想から幻想を見て苦しみを作り上げる。
だから瞑想はしたほうが良いと私は言う。
実は>>106>>107>>108もまた瞑想だ。
瞑想は楽しい遊びだ。
瞑想するか迷走するか。
すべてはあなた次第だ。
だから瞑想はしたほうが良いと私は言う。
実は>>106>>107>>108もまた瞑想だ。
瞑想は楽しい遊びだ。
瞑想するか迷走するか。
すべてはあなた次第だ。
109: :2013/03/13(水) 09:54:39.17 ID:
思考を整理する、身体を動かす、遊ぶ、これらは定期的にやると良い。
自分の夢や願望があったら、その夢や願望が叶った自分を想像して楽しむと良い。
これも定期的にやると良い。
理屈抜きに面白がってやれば良い、面白いぞ。
そして瞑想だ。
自分の夢や願望があったら、その夢や願望が叶った自分を想像して楽しむと良い。
これも定期的にやると良い。
理屈抜きに面白がってやれば良い、面白いぞ。
そして瞑想だ。
112: :2013/03/13(水) 10:08:56.98 ID:
瞑想は禅で無くても良い、椅子やクッションに座るのでも良い。
リラックスして座るのがポイントだ。
初心者は目を閉じたほうが良いが自然に半眼になるならそれで良い。
「積極的」に思考や想像をしたりすることは止めることだ。
リラックスして座るのがポイントだ。
初心者は目を閉じたほうが良いが自然に半眼になるならそれで良い。
「積極的」に思考や想像をしたりすることは止めることだ。
113: :2013/03/13(水) 10:18:39.27 ID:
無心を目指す必要は無い、
様々な思考が起こりイメージが湧き感情が沸くだろう、それらを否定したい思考や感情も沸くだろう。
・・・ただそれを見ていれば良い。
コツは寝ないことだ。
様々な思考が起こりイメージが湧き感情が沸くだろう、それらを否定したい思考や感情も沸くだろう。
・・・ただそれを見ていれば良い。
コツは寝ないことだ。
114: :2013/03/13(水) 10:38:07.91 ID:
もし寝ないことに成功して思考や感情や映像を見ていられたら、それらとの同化が解除される。
それらはスクリーンの中の出来事のように感じられる。
それらはもはやあなたにたいして力を持たないただの周辺の風景だ。
あなたは幻想の目撃者だ。
それらはスクリーンの中の出来事のように感じられる。
それらはもはやあなたにたいして力を持たないただの周辺の風景だ。
あなたは幻想の目撃者だ。
115: :2013/03/13(水) 10:50:23.12 ID:
幻想はあなたが目を逸らした時はとても現実的に思える、
だがあなたが目を向ければ幻想はあなたの周辺の風景だと解る。
あなたは相変わらず幻想とともにあり喜怒哀楽の感情や迷いを体験し、自意識をもつだろう。
・・・そしてあなたはそれらを楽しむ。
だがあなたが目を向ければ幻想はあなたの周辺の風景だと解る。
あなたは相変わらず幻想とともにあり喜怒哀楽の感情や迷いを体験し、自意識をもつだろう。
・・・そしてあなたはそれらを楽しむ。
116: :2013/03/13(水) 11:05:28.12 ID:
あなたは怒ること無く怒るだろう。
あなたは迷うこと無く迷うだろう。
あなたは幻想を生き幻想を目撃し、幻想を愛するだろう。
あなたはもはや気づきを離れることはできない、それは不可能だ。
あなたは一度も気づきを離れたことなど無いしこれからもそうだ。
それはあなたそのものだから・・・
あなたは迷うこと無く迷うだろう。
あなたは幻想を生き幻想を目撃し、幻想を愛するだろう。
あなたはもはや気づきを離れることはできない、それは不可能だ。
あなたは一度も気づきを離れたことなど無いしこれからもそうだ。
それはあなたそのものだから・・・
130: :2013/03/14(木) 10:02:29.37 ID:
要は悟りとは、迷いがないことだから。。
悟りと言う何かがあるわけではない。。
単に迷いを明らめて脱すると言うだけ。。
何か特別な存在にしてくれるものを追い求めたら、それは病かもしれないが、
迷いを自覚して、それを脱しようとするのは、いたって健全だと思う。。
悟りを求めると聞いたら、何か蜃気楼を追うかのように思ってしまう者がいて、
悟りを求めるのは病だなどと言う・・そういう者は、最初自分がそうであったことを振り返って言っているだけで、本当の意味での迷いを自覚したことがないのかもしれない。。
そういうのが禅なんかをかじると、あっちのアホのようになってしまうのだろう。。
アホの自覚もないし、そこから抜け出したいとも思わない。。
はじめから病識がないものには無理なんだろうな。。
悟りと言う何かがあるわけではない。。
単に迷いを明らめて脱すると言うだけ。。
何か特別な存在にしてくれるものを追い求めたら、それは病かもしれないが、
迷いを自覚して、それを脱しようとするのは、いたって健全だと思う。。
悟りを求めると聞いたら、何か蜃気楼を追うかのように思ってしまう者がいて、
悟りを求めるのは病だなどと言う・・そういう者は、最初自分がそうであったことを振り返って言っているだけで、本当の意味での迷いを自覚したことがないのかもしれない。。
そういうのが禅なんかをかじると、あっちのアホのようになってしまうのだろう。。
アホの自覚もないし、そこから抜け出したいとも思わない。。
はじめから病識がないものには無理なんだろうな。。
132: :2013/03/14(木) 10:38:42.86 ID:
それまであった自分に何か付け足すのが悟りじゃなくて、
単に余計なものが落ちるだけ。。
しかし、余計なものを抱えている自覚がないものは、落ちることもないし、
落ちることそのものを否定して、これでいいと開き直ってしまう。。
居直り強盗みたいなもんだ。。
ついでに説教泥棒もやってると言う落ちもつく。。w
単に余計なものが落ちるだけ。。
しかし、余計なものを抱えている自覚がないものは、落ちることもないし、
落ちることそのものを否定して、これでいいと開き直ってしまう。。
居直り強盗みたいなもんだ。。
ついでに説教泥棒もやってると言う落ちもつく。。w
197: :2013/03/18(月) 17:39:13.84 ID:
俺みたいな凡人からしたら想像つかんが
悟ったら想像だけで実際にセクロス体験した感じにとかなる?
昔vipで話題になった妄想だけでドライオーガズムをやってのけた変態紳士がいて
何かその紳士は健康診断で脳が麻薬やった時と
同じ反応出て偉い目にあったというエピソードだけど
良い意味で悟りやべ~とかあるかい?
悟ったら想像だけで実際にセクロス体験した感じにとかなる?
昔vipで話題になった妄想だけでドライオーガズムをやってのけた変態紳士がいて
何かその紳士は健康診断で脳が麻薬やった時と
同じ反応出て偉い目にあったというエピソードだけど
良い意味で悟りやべ~とかあるかい?
198: :2013/03/18(月) 17:45:18.78 ID:
>>197 このスレ的な悟りは特にヤバくないけど
オカルトスレの悟りは廃人1歩手前ってのも多いよ
オカルトスレの悟りは廃人1歩手前ってのも多いよ
199: :2013/03/18(月) 18:08:34.47 ID:
>>198 オカルトか
そっちは信憑性薄そうだなw
そっちは信憑性薄そうだなw
200: :2013/03/18(月) 18:11:57.25 ID:
ちょっと!重大なこと聞いてなかったぞ
悟るとセクロス疑似体験とかいけるか?ってやつ
でも悟り開いた坊さんとかって性欲なさそうだしな…
悟るとセクロス疑似体験とかいけるか?ってやつ
でも悟り開いた坊さんとかって性欲なさそうだしな…
250: :2013/03/28(木) 10:14:47.92 ID:
悟りスレはともすれば俺の人生観発表会、俺の悟りの境地自慢、悟りの定義大会や言葉遊びに終始する。
だが今の時代ほど悟りが必要とされている時代は無い。
悟りは社会を改善する最強のツールだ。
その手初めが経済だな。
経済の意味は経世済民だ。
経世済民とは世を治め民を済うことだ。
そしてTPPは日本経済を破壊する。
だから悟りスレでこそTPPについて語る必要がある。
だが今の時代ほど悟りが必要とされている時代は無い。
悟りは社会を改善する最強のツールだ。
その手初めが経済だな。
経済の意味は経世済民だ。
経世済民とは世を治め民を済うことだ。
そしてTPPは日本経済を破壊する。
だから悟りスレでこそTPPについて語る必要がある。
567: :2013/07/19(金) 01:24:54.56 ID:
人は成功しないといけないわけではない。
人は生き延びないといけないわけではない。
本性に従って為し、生きて死ぬ。
生き延びることに執着しては、性を超えた真実を見逃し続けることになる。
そのように私は聞きました。
人は生き延びないといけないわけではない。
本性に従って為し、生きて死ぬ。
生き延びることに執着しては、性を超えた真実を見逃し続けることになる。
そのように私は聞きました。
569: :2013/07/19(金) 10:01:30.77 ID:
解釈というのが曲者で
世は非常に広大であり、私たち限られた近くしかない人間は結果は任せつつとりあえず行為するほかありません。
なのに、下手に物事を解釈してしまうと、それが当たっても何の恩恵もないばかりか、それが外れたとき無意味に心理的に動揺してしまいます。
何かを解釈してもいいのですが、それを完全に仮定のものとできるでしょうか。
完全に仮定とできず、それにすがってしまうのであればそれは迷信であり、
迷信は現実に押しつぶされ苦しむ。
世は非常に広大であり、私たち限られた近くしかない人間は結果は任せつつとりあえず行為するほかありません。
なのに、下手に物事を解釈してしまうと、それが当たっても何の恩恵もないばかりか、それが外れたとき無意味に心理的に動揺してしまいます。
何かを解釈してもいいのですが、それを完全に仮定のものとできるでしょうか。
完全に仮定とできず、それにすがってしまうのであればそれは迷信であり、
迷信は現実に押しつぶされ苦しむ。