1005年寛弘2年

まひろは籐式部という名前をもらいました。

ネタバレ注意です花

 

☆藤壺の部屋にあがったまひろは「籐式部」という名前をもらいました。

父の原為時が式部丞蔵人という役だったから~。

自己紹介する時もされるときも誰それの子と言うのが昔らしい。

公任と斉信が来てまひろに中宮のお世話をする女房達は高貴な姫ばかりなので働く気が薄いと言っていました。

同じ女房でも、まひろの仕事は物語を書くことだったのですが、物語に集中できないと言って「里に帰って書く」と道長の反対を押し切って8日で里に帰ってしまいます。

里で物語の続きを書いて弟やいとに聞かせますが、弟は「おおぜいの殿御と睦んだわけでもないのによく書けるねびっくり」とか、いとに「下品な殿御達の話、帝がお喜びになるでしょうかキョロキョロ」と言われながら、藤壺に戻り、帝に献上しました。

 

☆まひろは物語の褒美に道長からヒオウギを貰います。

檜扇には幼い頃川のほとりで道長と言葉を交わした時の様子が描かれていました。

「鳥をカゴで飼うのが間違いだ。自在で空を飛んでこそ鳥だ」

 

☆1006年寛弘3年

伊勢守に平コレヒラを任じるという帝の案に、道長は武力を持つ者に力を持たせることになって武力で土地争いをして戦乱の世になってしまうと反対します。

そんな頃、大和の興福寺の僧が3千の僧兵が訴えを持って道長に会いに来ました。