999年長保元年
まひろにも定子にも子供が産まれました。
☆まひろと道長は石山寺で偶然再会し、久しぶりに語り合い至福の時を過ごしました。道長はまひろに「もう一度そばで生きないか」と言いますがまひろは断ります。すっきりいかないのが恋愛。
☆道長は、入内に備えて彰子に用意された部屋に力を示すために公卿や花山天皇に寄せてもらった歌を貼った屏風絵を作りました。
倫子は、おとなしい彰子を心配して、赤染衛門に「入内して目立たなければ死んだも同然」と、艶と華やかさを教えるように頼みました。
☆久しぶりにまひろ家を訪れた宣孝は「まひろのおかげで左大臣に大事にされている。人生何が幸いするかわからないところが面白い」と言います。まひろは聞き流せるようになっていました。
気分が悪くなったまひろは、いとに懐妊では?と言われます。予定日が師走として授かったのが2月、宣孝の足が遠のいていた時期。宣孝に言わずに行けるときまで行こうと助言しましたが、心苦しいと思ったまひろは宣孝に「別れて一人で育てたい」と言いました。
宣孝は「誰の子供でも一緒に育てよう。持ちつ持たれつとはこういうことも含めてだった」と現状維持になりました。
宣孝には妻や子が沢山いるからか、道長から得られるものを期待してか、おっさん的俯瞰?
☆11月1日に彰子が入内、6日後に定子が男子を出産しました。
彰子が入内しても一条天皇の定子への寵愛は変わらないので、安倍晴明は「彰子を定子と同じ中宮の位にあげよう」と道長に勧めました。道長は一帝二后はあり得ないと言いますが、、、
☆まひろも女子を出産しました。