家族なのに返ってくる返事や言葉にドキッとする、いや、ドキッではないな、ピクッだ不安ハッ
私は何故か娘達との会話でもそうなるときがある

家族なのに。。。

気を使いすぎるのはわかるけど、相手もそう感じ取るよ、そう同じように

いいんじゃないの?
これが私!なんだから

抜けてようが間違えてようがこれが私なのだから


と独り言の様に綴ってた言葉。

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先日、息子の発達外来がありました。

ずっとずっとお世話になってる先生に、大人になって少しずつ自分の言葉で向かい合える様になってきた。

かれこれ15年以上
彼には小さい頃からいろんな「先生」と付く方が何かしら手をかけ目をかけ言葉をかけてくださってました。


それは子供の頃から、言葉、精神、歯、目、書、勉強…ほんとに様々。

見た目普通の大人であるのとちょっとだけ?幼さも残る彼。

優しさ、純粋さはずっと持ち続けたまま、ときに怒りやもどかしさ、自分へのぶつけようのない歯痒さ、ときに大声で笑い、歌い、自分なりに充実させようと計画も練りながら生活している。

工夫して過ごす日々の中で、それでもやっぱり周りについていけないところもある。

生きてく中で手を、考えを貸して欲しいところもある、それは親以外の人でも。

あまり大勢は怖いらしく、好まない。
話せる人がいないわけでもない。

それでもアドバイスして欲しいことも考え、カウンセリングを受けたかったが先方とは合わず一旦、お預けとしてしばらくその日の流れに身を任せてゆっくりやってみることにした。


年々、月日が経てば出会いも変わり、成長すればそこで出会った人たちとの関係性を繋げていくようになる。

築き上げてもそれは壊れていったり、巡り合わせても縁がなかったり、先でまた繋がったり…


成長しても好きな先生との関係性は保てればよいが…
出会いがあれば別れもある。
始まりがあれば終わりも来る。

あとどのくらい関係性を保てるのかわからないですが、安定剤や診断書など彼を見守る私達親が先生や地域、福祉と連携取って居心地が良いまではいかないにしても、安心して過ごしていけるようになるといいなと思ってます。

彼が発達障害と診断された頃はまだ世間では未知の世界。
こちらに重きを置きたくないですが、中途視覚障害になってからの努力は目を見張るものがあり我が子ながら感銘を受けますキラキラ合格



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そう、家族に気遣い、疲れることはあるけど、
そんな母を逆に助けてくれる息子。

この優しさは母からのせめてもの贈り物としようニコニコ

私が気遣うと彼も気遣う
私が疲れると彼も疲れる
家族間でもお互いの1人時間を大事にしながら、程よく距離置いて肩の力抜けるといいけどな看板持ち


こだわりもあるけど、几帳面な良さとしようあせる


嫁いで距離ある娘たちだからこそ、お互いを大切に思う。

たまに会えると疲れるけど嬉しいおねがい
子から教わることもあるしニコニコ

それぞれの生活圏があるんだし、ピッタリ合わせなくても自然と合うこともあるから

たまにはだらだらして力抜いてよ、私パーねー
体壊れるよ!



結局独り言のようになってしまいましたm(._.)m汗

☆*:.。. 和泉 .。.:*☆