非関与 | 日々是好日

日々是好日

日々何か感じ、昨日と違う発見をみつけたい。

つい先日のことなんですが、買い物に行ったときに、

入り口付近のベンチで腰を二つに曲げて顔を伏せて、両腕がぶら~んっと脱力したじょうたいで座っていた男性がいました。

あまりにもその体勢では呼吸が苦しそうで、ちょっと気になって、5分ほど観察していました。

もちろん店員さんや他の客さんがいたのですが、気にはなっている様子ですが、

誰も関与しようとしませんでした。

もちろん自分も関与したくないし、通り過ぎることも可能なのですが、

気になって、買い物どころじゃなく、何回も様子を見ながら、彼の前を2,3度周辺を歩きました。

歩いているときに気をつけたのは、呼吸がしているかどうか、両手先が紫色になっていないかどうか等、

適当に気になりながら要観察。

あまりにも起き上がる気配が感じられないので、カスタマーサービスセンターへ報告。

結局店員さんに声をかけられ、起き上がりましたが、

たぶん酒臭がしたので、朝から酔いつぶれていたのかな・・・

ただ、あのまま放置していたらって思ったら…

本当ならば誰しも、傍観者でいたいし、あまり関わりたくないはず。

では、その異変に気づいたら、「大丈夫ですか?」「ご気分悪くないですか?」と

声をかけることが本当なら必要なのだと思います。

しかし、それは理想論。

誰もが、自分のアパートの隣の部屋に誰が住んでいるかもわからない今の社会で、そんなみんながみんな、気配りをすることはほぼ不可能。

特に今の時代通り魔だったり、殺人だったりと起きると、

私たちは「いろいろな人の話を聞いてあげよう」「ちょっと気にかけてあげよう」とするどころか、

逆にさらに警戒心を強るという選択をすると思います。

そうやって少しでも自分とは違うタイプの人を排除する“非寛容”の姿勢が、

結果的には社会を良い方向に導かないとわかっていながら、そうせざるをえないのかもしれません。