最近心理学ブームだったりで、皆さんご存知のとおり、受容が大事だと言われています。
もちろん受容ばかりで、尊重してばかりいても、間違いは起こりえることだってあります。
それは人間ですから・・・だから『枠』というものが必要になってくる場合もあります。
例えば、社会のルールも枠ですし、信号機も枠です。
信号という枠があるから、赤は止まるし、青は進みますよね。
「枠」といえば、大抵の方はその中に閉じ込められるというイメージを抱きやすいと思います。
しかし「枠」には別の意味を持つ「枠」がある。
「枠」があるからこそ、その中で安心して遊べる。
「枠」があるからこそ、その中で安心して過ごせる。つまり、「枠」、「守りの枠」です。
刑務所や少年院の高い塀は、そこに収容されている人を「閉じ込める枠」である
と同時に、厳しい世間の風から、あるいは犯罪を犯す危険から彼らを「守る枠」でもある。
そう意味では、「枠」とは両義的な意味を待ちます。
したがって「枠」をはめようとする人たちは、自分がどういう意味で、
相手に「枠」をはめようとしているのかを考え、意識しておかなければならない。
「制止」するという働きかけ一つとっても、それは相手を「閉じ込めよう」としているのか、
それとも、相手を「守ろう」としているのか?
守るとすれば、何から相手を守ろうとしているのか?それを考えなければならない。
見守るまなざしや親密さに飢えた空虚な方たちは、どういう「枠」であるかを感じる力は敏感です。
「閉じ込めよう」という「枠」であれば、反発する気持ちも強くなるし、
「守ろう」という「枠」であれば、安心できるのだとおもいますが、
最近では「守りの枠」が世の中(家庭、学校、社会など)では薄れているのかもしれません。