石見相聞歌 我が振る袖…
最近、YouTubeで、石見畳が浦をよく見かける。
心霊スポットですってね…。
神聖スポットの間違いかと思った。
パワースポットとかではありませんが、騒ぎまくって良い場所でもありません。
特に景勝地というわけではないが、古典・古文の世界ではかなり捨てて置けぬ場所。古典好きは必ず知ってる有名な長歌。これを知識にYouTubeを見れば、またはその地を訪問すれば、無礼は控えるようになります。
柿本朝臣人麻呂が一躍有名にした場所。
石見相聞歌の長歌です。
石見というのは「石見国」今の島根県西部(石見地方)の地名、作者人麻呂はそこに妻を葬った、その嘆きを表すもの。
技巧的に面白くて、斬新。高校の時はスっごく面倒だったけど、大人になると味わいがある。
よしゑやし…どうにでもなれ!って意味
「ええ…ままよ…」
か青く…か、は接頭語。動詞や形容詞に接続し、
音を合わせる。
など、諸処技法を凝らして人麻呂らしい。
さいごの 靡けですね。体言止めスタイル。
山に向かって、靡け!ですから、余程奥様に会いたかったのでしょう。
島根県西部(石見地方)の高角山公園には人麻呂の歌碑。
石見のや 高角山の木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか
もはや亡くなってしまった妻を、まるで生きた人に手を振るように歌った短歌。愛情の名残がまだ色濃くのこり、妻を残したまま、京へ赴く辛さを痛切に感じる。できればお前とここに居たかったよ。と。
そしてこの短歌、なんだか聞いたフレーズ!
そう!あの、あかねさす 紫野ゆき しめのゆき…で有名な 額田王の歌を踏襲してますね。
巻ニノ128
| 石見の海津の浦を無み浦無しと人こそ見らめ潟無しと | 人こそ見らめよしゑやし浦は無くともよしゑやし潟は | 無くとも鯨魚とり海辺をさしてにきた津の荒磯の上に | か青なる玉藻沖つ藻明け来れば波こそ来寄せ夕されば | 風こそ来寄せ波のむたか寄りかく寄る玉藻なす靡きわ | が寝し敷たへの妹が手本を露霜の置きてし来ればこの | 道の八十隈ごとに万度かへりみすれどいや遠に里離り | 来ぬいや高に山も越え来ぬはしきやしわが妻の児が夏 | 草の思ひしなえて嘆くらむ角の里見む靡けこの山 | 原文は奈良県立万葉文化館さまより引用 | 現代語訳(ウサギ的意訳含む) | 石見は津の浦(おそらく良い入江)がないから 見る人に言わせれば良い浦とは言えないかもしれないね。良い干潟も無いと人は言うかも知れないね。いいさ、たとえ浦も、潟もなくても、鯨も獲れるほどの海を臨む海岸に向け、にきた津の荒磯の渚に青々と繁る美しい藻、水底深く生える藻が、夜が明ければ打ち寄せてくるし、夕方になると、夕風が吹いてくる。 | この波とともによってくる美しい藻のように、寄り添い暮らし寝起きした妻の袖に霜や露が置くごとく、置き去りにしたので、旅の途中のたくさんの曲がり角の度に、幾度も振り返ってみたけれど、ますます妻のいる場所から離れてしまって…。さらに山もますます高く。それも越えてきたのだから…。愛しき妻が夏草のように萎れて嘆いているだろう懐かしい津野の里を遮る忌々しい山を吹き飛ばせ!風!靡け!(妻の里を見たいんだ) |
